一生懸命に相手のためを思い、一生懸命に相手に尽くしていても「ありがとう」の一言もない。
そういうことが続くとすれば当然気になって仕方がない。

その様な場合それは、本当の意味での気配りではなかったのだと私は思っています。
よく思いを巡らすと、そういうことが多いのです。

つまり、一つ一つの行動がその相手にとっては価値のない行動なのです。
お茶を出す時にもその仕種が気になるように、仕種の中に何かが足りないのです。

一つ一つの仕種を説明することはできませんが、一つの行動の中にはその人の思いが出ているのです。
優しさのあふれた仕種、義務的な仕種、形が良いだけの仕種と色々ありますが、その原点は「私はこの人に誰よりも感謝し、尊敬もしている」という心の奥底の状態にあります。

自分が尊敬もし、感謝もしている人の世話をしているとするならば、たった一つの行いにも感謝をされてしまいます。
「~しなければ」という思いがいつもつきまとっているとするならば、「~してあげたくて仕方がない」という思いから出る行動には決して勝てることはありません。

利他の精神・人材育成