無限提言129 回 1月号

相手の全てを認める

「正月には、お雑煮が欠かせない」というご家庭は多いかと思います。私が社会人一年目に、先輩宅でご馳走になったお雑煮を今でも忘れられません。なぜなら、見た目も味も私が知っている“お雑煮”ではなかったのです。後日、そのことを同僚に話すと、味付けや具材、出汁などは地域によって様々であることを知り驚きました。一口に“お雑煮”と言ってもこんなに違いがあるのかと。 この時の印象を折々に思い出すのも、“一人ひとり違う”人間を知ることの難しさを、年年歳歳感じているからかもしれません。現場の諸問題は様々ですが、やはり人間関係の悩みはつきません。まして、私たちは、相手の立場に立ち、相手を理解しようと努めるがゆえに、むしろ悩まされることもあると思います。

先日も合同カウンセリングの場面でこんな質問がありました。「部下との関係で行き詰っています。自分から近づき会話も重ねてきましたが、どうしても彼を理解できず、業務にも支障がでてきました」と。また、「自分より20歳も年上で、業界ではベテランの方が入社してきたのですが、どうしてもチームの中から浮いてしまい、終には、他のスタッフから『何とかしてもらえませんか』と訴えられ、そのベテランスタッフと話し合いました。しかし、あまりにも認識が違い困惑しています。どうしたらよいのでしょうか」というものでした。 彼は、さらに質問してきました。「アンリミ書籍『創立者 鈴木昭二』に、『相手と同じ親を親として生まれ、相手と同じ時に同じ経験をしてきたならば、きっと相手と同じ発想をし、同じ行動をするだろう』との捉え方がベースにないと、相手を理解することはできないとありますが、とても自分には難しくて、できそうもありません。皆さんはいかがですか」と。一同考えさせられました。私も、このメッセージと向き合い、大事に思うことは、まず、「相手の全てを認める」ということです。そのことが相手を理解する、相手を知ることへのスタートラインとなり、相手を尊重する根本のスタンスではなかろうかと思うのです。

分かってくれる人を求めている

「相手の全てを認める」というと、それは、相手のマイナス面や時に過ちさえも全て肯定するということでしょうかと、聞かれることがよくあります。微妙なところですが、相手の非や誤りを肯定するということではなく、まず、相手の全てを受け止めようというこちらの内面が、大事だと思うのです。   誰の場合でも、素朴な感情として自分の過ちを指摘され、正されることよりも、自分のことを本当にわかってくれる人を求めているのではないでしょうか。「やっと自分のことを分かってくれる人に出会えたことで救われました。それが転機となりました」という体験談などは、貴重な真実の一側面を表しているように思います。 とかく、陥りがちなことは、何とか相手に気づいてほしい、良くなってほしいという、こちらの感情が優先してしまい、言ったことが逆に相手のマイナス感情を引きだしたり、しこりを残したりします。そのような、後になって後悔するという経験は、誰しもおありかと思います。しかし、そうとは分かっていながらも自己感情に負けてしまうのも生身の人間です。 だからこそ、そこで「ちょっと待てよ」と、意識的に何度も何度も繰り返し自分に問いかけるのです。「ちょっと待てよ」と切り替えられるような自分に挑み、身に刻んでいくのです。積み重ねのなかで、五回に一回、三回に一回と失敗が減っていくのです。 そう簡単に身に付くものではないと実感しています。分かったからできるというものでもありません。学び続ける、実践し続けることです。

『心情を察する』とよく言いますが、“情”の字は“心”に“青”と書きます。私たち人間の“心”のなかには、語るに語れない苦しみや悩みというような“ブルー”の部分があると思うのです。 そして、思うようにならない現実を前に、自分でも悪いと思いながらもどうしようもない感情に苦しむことがあり、また、情熱の炎が弱々しく消えかけることもあります。 そんな時に、自分の全てを受け止めてくれ、認めてくれ、分かってくれる一人の存在がどれほど大切なことか。ともあれ、「よし頑張ろう」と、心の種火に情熱の息吹をおくることのできるリーダーを目指したいものです。  変化して止まない人間を知ることが、いかに大事なことか。どこまでも人間尊重のアンリミ哲学を本年も共々に励まし合いながら研鑚してまいりたい。

img_5817bd1b443eb