いよいよワクチン接種がスタートしました。長く続くコロナ禍の事態収束にむけた方向性がぼんやりと見えてきたのではとの印象です。とはいえ、実際のところ経済活動は停滞したままの状態で、特にサービス業全般では厳しい状況が続いているのが現実です。大きな変化として、働き方が変わってきました。リモートワークは勿論ですが、それが出来ない業務内容の会社であっても、例えば、就業時間や休みの取り方、ミーティングの開き方、営業スタイルも変わってきているのではないでしょうか?

最近多く寄せられるのが「コミュニケーションの取り方が難しくなった」という内容です。フェイスtoフェイスであればこそできた、意志の疎通や指示、各自のモチベーションの維持が困難になってきているということ。

今回は、3年ほど前(2017年)に出した本コラムの一つから、一人ひとり違う〝働き方〟に焦点を当てて、その本質を考察して参ります。

 

働く目的

ある企業では、定時になると職場の一斉消灯がはじまる。「働き方改革」が世間で声高に叫ばれています。少子高齢化を見据えた労働力の確保として、長時間労働の是正、労働生産性の向上などが改革におけるテーマとして挙げられているようです。
“働き方”とは、そもそも時代と共に常に変化するものであり、対応せざるを得ません。しかし、リソースの限られている中小零細企業にとっては、行政の指導に沿った改革は実に難しい。それでも、できる限り精一杯の対応をしている。だが、求められるのは時代の要請であり、そこには現実の矛盾と葛藤があります。
その上で危惧するのは、どう対応するのかを第一の課題としがちなことです。時代の変化のなかで、“自分たちに問われていること”と“対応”は別々なのです。一例を挙げれば、対応面では、給与(評価)や労務システム、就労体制やその為の環境整備など。中にはすぐに変え難い問題もありますし、分かってはいてもできないという問題もありますが、対応していかなければならない課題です。

その一方で、対応面ばかりを追求すると、働く意味や意義をどうしても見失いがちになってしまいます。仕事を始めたときには、やる気も熱意もあるのですが、そのモチベーションは知らず知らずと失ってしまう。終には、“作業”だけが残ってしまうと苦しくなり、自分自身を追い詰めてしまいます。離職率が高い職場にはこういった傾向が有るように思います。

私たちは、様々な“対応”と共に“問われていることは何なのか?”との認識を深めることが大事になってきます。

つまり、「何のために?」という目的観が一切の起点になります。しかしながら、一人ひとりの価値観は益々多様化し、仕事観や人生観と云っても様々です。やはり根本の問題は、スタッフ一人ひとりの目的観と企業の目的観が、互いに共有されているかどうかではないでしょうか。
そこで、求められることは、スタッフ一人ひとりとの対話や社内教育を通し、トップリーダー自身が目的観を問い続けること。例えば、仕事とは手段であり目的ではないと。また、働くとは“はた楽”であり、“はた(そば)の人を楽にする” ことと、私自身も目的観を教えてもらいました。こうした目的観の共有がなければ、お互いがストレスになり、いずれ大きなひずみを生み出してしまうと思います。

 

楽しむため

それは、決して押し付けやコントロールではありません。また、スキルアップのための社内教育でもありません。どこまでも、本人のための目的観を育む。「この仕事は、そもそも何の為?」と問いかけていく。日本の学校教育においては、目的観の教育は不十分だと思います。また、それは難しいことでしょう。だからこそ、トップリーダー自身が働く目的を問い続け、追求する。そして、タイミングをみて、相手を想い、ことあるごとに目的について語り合う。こうして、そもそも何のための仕事なのだと一人ひとりが目的を持つことで、自然に環境や状況に応じて、頑張れます。

思うに、苦しむために生まれてきたのではない、楽しむためだと。これも目的観です。つまり、いろんなことにチャレンジしてみることや、苦しいこと、困難を全て楽しんでしまえと。私自身も、ことあるごとに言い聞かせ、切り替えています。「嫌だな」と思う自分から、「楽しもう」と。こうした捉え方を持つことで、自己感情を切り替えるのです。自己感情を哲学優先に切り替えるスイッチを持たなければ、苦痛の渦に飲み込まれてしまうと思うのです。

たとえ困難な状況でも前向きに捉え、あきらめずに乗り越える。そこにトップリーダーとしての醍醐味、人生としての醍醐味もあるのではないでしょうか。働き方改革を世間が注目すれば、注目するほど“なぜ、何のために”という使命感や目的観が、とても大事になると思います。仕事における喜びや、やりがいによって、プライベートの充実も共に図る“働き方改革”でありたい。

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先日、弊社内のある会議で「もっと夢を語ろう!」と話す場面がありました。このコロナの状況下で・・?との思いが頭をかすめる一方で、今日・明日を思い、汲々とした近視眼的になっている自分に気付かされました。確かに現実は厳しい。分析も対策も大事。だからこそ将来を切り開く、モチベーションとなる『夢』が大事なのかもしれません。決して遠視眼的になるのではなく、正視眼で物事を捉え、現実を見つめるためにも、夢を語りながら今この現実と戦って参りたい、「何のために」と。