正直に生きる

日本では、古くから一月を睦月(むつき)とも呼ぶ。
その由来は、親類や知人が互いに往来し、仲睦まじくすることから“睦び月”となった説があります。
たしかに一月は、プライベートや仕事でも、人が集まる機会が多いのかもしれません。

今月開催される“新発式2020”においても、出会いを楽しみに参加する方もおられると思います。実際に、「新発式での出会いが起点になった」との声も。
誰もが良い出会いを望み、求めている。
しかし、出会いばかりは、計算尽くでは生まれません。
思うに、自分自身の『生き様』によって出会いは生じる。正論ではなく体験的な結論として、そのように思います。

アンリミに出会う前は、生きることに無目的であり、いい加減な生き方でした。
そんな私を見かねた父が、ある会社を紹介する。
そこで面接をされた先輩が縁となり、アンリミと出会う。
確かにいい加減な生き方でした。でも、心の中では何かを求め、もがきながら生きていました。

数年前、輝かしい記録と記憶を残した元プロ野球選手が薬物事件を起こし、多くを失いました。
過去に執着するあまりか、選手生活の晩年の『生き様』が、悪しき出会いを引き寄せたのかもしれません。

昨年末、球団から解雇となった選手たちの再チャレンジの場を設ける「トライアウト」で、彼は監督という立場で久しぶりのユニフォーム姿で、選手たちにエールを送る姿がありました。もちろん再起は生易しいものではなく、これをもって立ち直ったなどと言うつもりはありません。

しかし、これを機に、彼が今後どのように生きるかによっては、良き出会いがあると思います。

 

つまり、出会いは、一人ひとりの『生き様』が引き寄せるもの。
だからこそ、良い出会いは、良い生き方によって引き寄せられるのではないかと考えます。

 

その良い生き方とは、正直に生きること。
人を騙すようなことはしない、裏切らない生き方です。
しかし、誰もが、逃げたい、誤魔化したい気持ちはある。
また、いざという時には保身に走ってしまう。
そこで、利他の心を持つことにより、自分を見つめ、反芻するなかで、正直な気持ちになれます。
利他の心の源泉は、正しい哲学を学び続けることだと思います。

 

善き友

現実は厳しい。
最近ニュースとなった郵便関連企業による問題は、“一人ひとりが持つ正直な気持ち”よりも売上げや契約実績を優先した結果に思えます。はじめは正直な気持ちを持っていても、どうしてもエゴイズムやしがらみに飲み込まれてしまう。

大事なことは、正直に生きることを求め続け、積み重ねることです。
しかし、その過程においては、様々な葛藤や寂しさが伴うのかもしれません。

 

私がアンリミ哲学を学び始めた頃、生き方を改めようと思えば思うほど、当時の友達とは話が合わなくなり、「お前、変わったな」と言われ、友達が知らず知らずに遠ざかってしまう。
そこで、弊社創立者へ「これは、なぜでしょうか?」と深刻に質問をしました。
すると、「本当に大変な時に助けてくれるのが友達だと思うよ」と。
また、「おまえの友達は何人いるんだ?」と聞かれる。
私は「〇〇人です」と答えると、「“本当の”友達は何人いるんだ?」と聞かれました。

それがあまりにも急所で、言葉も出ない。
しかし、なるほど、自身の生き方によって、人間空間の濃淡が生じるのかと。
私が感じていた寂しさの意味は、これなのかと思い知らされました。

 

正直に生きることで、最も難しいのは“自分”です。
相手との約束は果たそうとするが、自分に嘘をつくことがたくさんある。
一日のなかでも、プライベートや家庭でもある。
自分にする嘘をなくすことは難しいと思います。
しかし、その都度「あっ、またか!」と自分を見つめる見方があるうちは良い。
だからこそ、こうした見方を持ち続けるためにも善き友と交わり、自己自身を律する哲学を研鑽し続けてまいりたい。