文学でも、医学でも、知的好奇心を満たすだけの欲望ならば誰にでもある。
そして理解ができるまでに追求をしたならば「あぁ、楽しかった」で終わってしまう。
でも、それでは心を打つ文章は作れないし、手術の現場にも立てはしない。
それは何の分野の場合にでも同じことではないでしょうか。
人間学としての哲学にしても同じことです。
新しい切りロで語られた言葉と理論を聞いても、「あぁ、その通りだ。本当にいい話だった」で終わらせるだけならば、聞いていても聞かなくても同じことなのです。
もし、優れた人がその通りに実践をしている様子を見た時に、納得できるものであるならば、まねてやってみない手はないでしょう。
それは誰にでもできて、実際に応用する価値が非常に高いものなのですから。
自己変革・自己成長