晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す

変化しつづける時代のなかで、将来の展望が見いだせずに迷い、失敗や失うことを恐れ、上手くいくかどうかと躊躇し、あるいは、今やっていることに対する信念が揺らいでしまう。『一歩が踏み出せない』という方は少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

一般的には、「理想や希望を持って」、「自分を信じて」、「逆境こそチャンス」、等々、気持ちを前向きにすることが大切だと言われています。しかし、現実には、状況が厳しければ厳しいほど、「理想なんて言っていられない」「夢なんて見る余裕もない」「失敗するわけにはいかない」というのが正直なところのように思います。また、なかなか思うようにならない現実を前に、どうしても妥協や諦めの気持ちが起きてくるものなのではないでしょうか。

吉川英治氏の言葉に、「百計も尽きたときに、苦悩の果てが一計を生む。人生、いつの場合も同じである」と。一方、同氏はこうも言っています「晴れた日は晴れを愛し、雨の日は雨を愛す。楽しみあるところに楽しみ、楽しみなきところに楽しむ」と。

考えに考え抜き、出来ることはすべてやり切り、それでもなお上手くいかない、そうした苦悩の果てに決定的な一計が生まれるという側面があるのと同時に、雨の日や楽しみなきところ、つまり厳しい環境や苦悩を〝楽しむ〟心が大切であるとも示唆されているように思います。それは決して、現状に甘んじ開き直るということではなく、厳しい現実のなかでより主体的に喜びを見出すというような生き方とも言えましょう。

 

それでは果たして、我が身に照らしたならばどうでしょう。そのような人生観に立つことができるのでしょうか。

ips細胞の研究でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授は、はじめ、整形外科医を目指していました。しかし、手術は不得手で指導医からは「ジャマナカ」と呼ばれる程だったそうです。そしてその後、医者から研究へと道を変え、そこでも役に立たない研究だと批判されていたようです。そうした状況に対し、逃げ出すこともあれば鬱にもなったと。

その山中教授の好きな言葉が、『人間万事塞翁が馬』。何が福(ふく)となり何が禍(か)となるのかはわからない。つまり、思い描く成功が成功とは限らない、挫折が不幸なのでもない。一時の成功に喜んだり一時の苦難を悲嘆するのでなく、嬉しいこと、大変なこと、不安なこと、これらすべてが生きる醍醐味だと、人生そのものを味わう。

良い時には、今、喜べることを味わい、上手くいかない時にも、それも一つの味わいとして味わう。負けることではじめて味わうものもある。また、その世界に本気で向き合わなければ味わえないこともある。そこそこ上手くやって、そこそこの結果をそこそこ喜ぶ、それも存分に味わう。人間的な強さ、広がり、深さ、目に見えない世界を築くのはそういうところのように思います。

 

喜びのある苦労

人生はそもそも苦労の連続です。しかし、同じ苦労でも、喜びのある苦労と、喜びを見失った苦労とがあります。そうした違いが生じるのは何故なのでしょう。

〝世界で最も貧しい大統領〟で知られるホセ・ムヒカ氏の2012年リオ会議でのスピーチが印象深い。そのスピーチのなかで「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と。そしてまた、「私たちは発展するために生まれてきているわけではありません。幸せになるためにこの地球にやってきたのです」とも。

なにも、経済的発展を否定しているのではありません。何のために会社経営をしているのか、何のためにこの仕事をし、何のために生きているのか、思いの奥底となるところがより重要なことのように思うのです。

ともあれ、一歩が踏み出せない苦しい時に何が大切なのか、皆様はどのようにお考えでしょう。

 

今年もいよいよ最終12月となりました。災害が各地で多発した年となってしまいましたが、皆様にとってこの一年はどんな年だったでしょうか。明2020年は、いよいよ東京オリンピックが開催されます。私たちも自己自身の勝利を目指して更なる前進をして参りたいと思います。

本年もご覧いただきありがとうございました。(以上)

 

 

 

吉川英治(1892ー1962)

本名、吉川英次。現在の神奈川県横浜市中区出身。 様々な職についたのち作家活動に入り『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。

 

ホセ・ムヒカ(1935年ー )

ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダーノは、ウルグアイの政治家。 2009年11月の大統領選挙に当選し、2010年3月1日より2015年2月末までウルグアイの第40代大統領を務めた。バスク系ウルグアイ人。 愛称はエル・ペペ。報酬の大部分を財団に寄付し、月1000ドル強で生活している。