もしも、野球の王選手や長嶋選手が自らの素質を磨こうともせず、
朝から晩まで酒と女に浸っていたとしたならば、
あるいは、そのような生活態度だったとしたならば、
あのような成績は残せたでしょうか?
残せなかったとするならば、
あのような成績を残せた原因は
決して素質だけではなかったことにもなる。
毎年百人前後の有力新人がプロのスカウトに見出される。
その素質に大きな違いはないでしょう。
しかし、素質的には同じくらいの人が相当数いたとしても、
全員が王や長嶋にはなれません。
それは努力と訓練の絶対量の違いにこそあるのではないでしょうか。
素質は、本来的には同じように持っている。
みな、王や長嶋なんだけども、そうなれるのはホンの一握り。
それは裏づけを作る作業を途中で放棄をしてしまうから。
心を別のほうへ取られて、裏づけを作る行為を自分で放棄をしてしまう。
そうしたならば、素質はあったとしても結果的にはなかったことと同じこと。
可能性はあったとしても現実化はしない。
水面下にあって、浮上してはこない。
王も長嶋も人間としての構造はもちろん同じなのです。
でも、現実化ができる人と、できない人との二つに分かれている。
実は、できるんです、やれば。