先日、ある温泉旅館の衛生上あってはならないような事実が大きく取り上げられました。弊社のお客様にはホテルや旅館業の方々も多くご縁がありますが、その背景には様々な事情が有ったのだろうとニュースを見ながら思っておりました。しかし、どのような理由があったにせよ、利用したお客様の健康上のことは言うまでも無く、同じ業界・同業他社に対する信用の面からも、しっかりとした今後の対応が求められることは確かです。

3年間に及ぶ〝コロナ禍〟によって、様々なことが変化し、特にデジタル化は数年で10年以上の進歩を遂げたともいわれています。また一方で退化してしまった感があるのが私たち人間の基本的な姿勢ではないかとも感じています。約束事や時間、やるべきタスクや守るべき事に対する取組みなど、どこかアバウトになってしまっている・・・そう感じるのは私だけでしょうか。先のニュースと直接的な関係は無いことかもしれませんが、今こそ「基本姿勢を正す」ことが今後キーになってくるように思えてなりません。

ともあれ、考えられないような前記のニュースではありましたが、以前にも食品の偽装や製造メーカーでの不正問題が取沙汰されたことがあり、その際にコラムに掲載させていただきました。今回は再確認の意味で、この無限提言「不正事件に思う」を再掲載いたします。参考にお読みいただけたら幸いです。

 

不正はどこからでてくるのか

大手自動車メーカーのデータ改ざん、首長や政治家の政治資金問題、東日本大震災の際には原発事故に伴う隠ぺい問題などもありました。これらは、まさに日本を代表する企業や期待を寄せたリーダーに関する不祥事でした。こうした世間で話題となっている事件や出来事のニュースに接する時、よそごとではなく、自身の身近にも起こりうる問題として捉え考えるという習慣を身につけていきたいと考えます。

そして、思うのです。組織であるならば、規模の大小によらず、不正を引き起こす危険が様々な場面や時に応じて潜んでいるのではないかと。また、不正はどうして起こるのか?また、なぜ起こるか? こうした問題の本質は何なのか? とも。

そもそも、一人ひとりの思いに、最初から悪意があったのでしょうか。思うに、しらずしらずのうちに見る方向を誤ってしまった結果のように思います。

頭ではスタッフや利用者のことを考えながらも、いつの間にか、会社の存続や業績に目が行き、スタッフ一人ひとりにおいても、いざという時に、自身の立場や上司の顔色を伺うようになった結果のように思います。

こうした「狂い」や「誤り」は、残念ながら、誰でも、何処でも、いつの時代でも変わらないことのように思います。それは、本能的にもっている自身を守る保身利己、つまりは人間のもつエゴイズムに行き着くように思われます。

 

そして、不正を助長する大きな要因に、「言えない」「言いづらい」という問題があります。上司からの不正の指示に対して、「それは、おかしい」という思いを伝えられない。会社のためにと現場がやっている不正に対して、「これは、だめだ」と指摘できない。あるいは、社内の不正を知りながらも誰にも相談できない。

つまり、「情報の遮断」ということが、結果的には、会社を、上司を、自身を苦しませ、悩ませることになるのです。情報の共有がなされていないところに、まさに、組織の弊害が様々な形で現れるように思えてなりません。

健全な組織とは、気付いた人間が不正を指摘し、不正でなくとも何か疑問があれば確認をし、思うことがあれば相談できる組織なのではないでしょうか。

 

何をもって企業統治するのか

不正予防、顧客満足、社内のモラル向上、そうした観点から、近年、コンプライアンス(法令順守)、コーポレートガバナンス(企業統治)というフレーズを耳にする機会が増えてきています。

当然の対策の帰結ともいえるでしょう。しかし、様々なルールやシステム 制度や規制が重要なことは認めざるを得ないとしても、はたして、法や制度で人間を統治することができるのでしょうか。また、規制やルールで統治しようとすれば、人間関係は希薄になり、さらには、窮屈になりはしないでしょうか。

改めて感じることは、人間愛、人間尊重、相手中心といった、ヒューマニズムを根本とした哲学が企業統治のベースになければ、何をしたところで十分には機能しないということです。

逆に、企業統治のベースにヒューマニズムがあればこそ、事細かな制度や規制を潤滑にさせ、仲間を仲間として率直に語り合い、マイナスの情報をも共有し、改めるべき方向へと共に行動するのではないかと思うのです。つまり、ヒューマニズムの心をいかに育んでいくかという視点を見逃してはならないと思うのです。是非とも、互いが互いを助け合い、励まし合い、補い合う組織づくりを目指したいものです。

 

以前、創立者鈴木会長は、懇談のなかで「今の大企業は昔、下請けを泣かせるようなこともしてきただろうし、規則に沿わないこともしてきたはずだ」と。つまり、どんな大企業もはじめは零細企業で、なんとか会社を発展させよう、成長させようとするプロセスのなかには、今でいう『ブラック』と言われることがあったのかもしれないと。

しかし、このままではいけないと気づき、自ら是正してきた結果として、社会から信用される企業になったのではないでしょうか。

そこで大切なことは、図らずも社内の不正が発覚したならば、素直に非を認め、大胆、かつ積極的にヒューマニズムを根幹とした組織に改めることです。そうした『潔さ』が私たちに問われていることだと思います。