非常時に問われる
新型コロナウイルスで亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被患された皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、経済の落ち込みにより影響を受けられている経営者はじめスタッフの皆様には一日も早い回復を望んでおられることと思います。
皆様には決して負けないで欲しい、そう願ってやみません。
〝想定外〟…先の大震災や昨年の集中豪雨の際にニュースでこの言葉が聞かれました。思えば、あの時、思考が停止する程の大惨事が起き、私たちには恐怖と不安と絶望が渦巻きました。これから先、いったいどうなってしまうのか…と。そして今、新型コロナウィルスの問題を受け、観光、飲食はじめ多くの産業が厳しい状況にさらされております。
心にとどめおきたいことがあります。それは、私たちは何を想定して経営にあたるべきなのか。危機的状況に対する備えとしてリスクマネジメント、問題に直面した際の対処(クライシスマネジメント)など、所謂、危機管理が非常に重要だということは言うまでもありません。日常的に、具体的に備えることは大事です。必須です。
それらと共に、様々なアクシデントが起こった時、私たちトップリーダー自身の心持ちや経営のスタンスが問われるのではないかと考えます。一言でいうならば、それは「覚悟」です。
極論ではありますが、平時にあっても、会社がなくなってしまうような危機的な状況をも想定して経営にあたっているならば、何があっても動じない、力強い経営ができるのではないでしょうか。その根本となる我々自身の「覚悟」。人生においていえば「私は何がどうなろうとも、このために生き抜く」といった覚悟ある生き方のことです。最悪の事態にあって、覚悟を定めた人は強い。まさかこんなことにはならないだろうと思うことが起こるから、困ったり、迷ったり、あるいは心が折れたりするのではないか。つまり、最悪の事態にも動じない「覚悟」がトップリーダーに求められます。
しかし問題は、この「覚悟」が本物かどうか、それはアクシデントが起こったときに、はじめて分かる。例えば、何があってもやり抜くんだと覚悟を決め、決意していたはずが、いざ、予想もしない大事件が起こると、諦めの気持ちが起こる。つまりそれは、本物の覚悟ではなかったということ。そしてそれは、問題が起こらなければ、自分自身でも気がつかないことが多いのです。思わぬアクシデントや極めて厳しい状況に「覚悟」の真偽が浮き彫りにされます。
ここで大事なことは、覚悟が揺れ動く出来事がおこった時に、諦めないで、もう一度、覚悟をすることです。決意をしていたはずが、思わぬアクシデントを前に、瞬間的に決意が揺れ動くことは誰しもあります。しかしその後、改めて決意をする、その繰り返しが決意を強くするのです。
逆境で鍛えられる
先の震災の際に、あるクライアント社長が話していたことを思い出します。
「ここ数年は安定し、今後の展開も見え、次の手も打っていました。しかし、大地震により、売上も組織も全てが崩れてしまった。果たして何のために経営をしてきたのか。これから何を目指して経営したらいいのかと考えさせられた」と。そして「売上げを追求し身に着けてきた知識やノウハウも、大災害というアクシデントの前では、全く無力であった」と。
またあるクライアントでは「経済が止まってしまい、仕入も配達もできず、どんなに能力があっても、なんともしようがない状況でした。しかし、絶望のなか気づきがあった。もう一回借金をして会社を起こしたと思えばいいと原点に戻ることができた。それからとても気が楽になった。むしろ確信を深めることができた」と。
最悪の事態に直面し自分自身と向き合う。そうして、大事な気付きを見出す。何のための経営なのかと。逆境で気づき、再び決意をする。その気づきと決意が自らの内面を鍛えるのです。そして影響を受けたクライアントさんが共通して口にしたことは、「哲学を学んでいなかったならば、とっくに心が折れていた、あるいは、自分だけが助かる道を選んでいただろう」と。そしてまた「今、ぎりぎりのところでも頑張れるのは、哲学を学んできたからだ」と。これが、覚悟を定めた経営、哲学を軸にした経営、哲学根本にした生き様を常日頃から学ぶ偉大さの証であると確信しています。
平時に学び、非常時に問われ、逆境で鍛えられる。
今、私たちにできること、それは、この逆境のなかで改めて覚悟を深め、希望とヒューマニズムの哲学を学びつづけることです。そして、私たち一人ひとりの生き様に、しっかりと、この難しい状況下での戦いの痕跡をとどめ、未来への起点としてまいりましょう。