環境の中心にいるのは自分
経営現場には資金繰り、売上、経費削減、スタッフ育成と様々あります。そして、それらの問題解決へと手を尽くすものの、なかなか思うようにならない。資金繰りに目途がついた矢先にスタッフが問題を起こし、売上が上がったかと思えば取引先との問題が出てきたりと、実に多くの問題に悩まされます。そして、一見、順調に見える企業であっても、トップリーダーの内面は苦悩の連続であることが多いように思います。
業績順調で会社規模も年々拡大させているあるトップリーダーが「後継者がいなくて悩んでいます」と。それに対して「血縁にこだわるから後継者がいないとなってしまうのではないでしょうか」と答えると彼は、「後継者たる人材がなかなか現れません」と。さらに私は「社長の思いを共有するスタッフみんなが後継者だと考えます」と答えました。それでも彼は、「そうはいってもなかなか育ちません」と言うので「育たないならば、育つまで自分がやっていくほかないと思います」と。
方策としては様々あることでしょう。けれども、色々と試みるも行き詰る事例を数多く見てきました。優秀な人材を他から連れてきたところで社内の信頼を得られなかったり、一人に焦点を絞って育成をしても過大なストレスのため、返って力を発揮できなくなったり、また、成長したかと思えば辞めてしまったりと。つまり、後継者の有無や成長に問題があるのでなく、トップリーダー自身の問題なのです。
申し上げたいことは、問題に悩む多くは、売上やスタッフ、取引先や経営環境等々、自分以外のところを問題にしているように思います。事々の問題意識は大事なことだとしても、身の回りの「環境を変える」には「自分を変える」ほかありません。今現在の環境の中心にいるのはまぎれもなく自分自身なのですから。
執着してしまう
なぜ、わたしたちは諸問題に苦悩してしまうのか。それは、後継のことで言えば、会社の存続に縛られ、血縁や財産等の継承に囚われ、自身が築いてきたものに執着してしまうからではないでしょうか。それならば、そうした執着から離れれば、後継者の問題は解決するのか。否、解決するかどうかは別にして、ここでも『後継者』に執着していると言えましょう。つまり、『後継者』から離れられないでいるのです。
わかりやすく言えば、『お客様の満足を追求した結果、利益は後からついてくる』とわかっていても、本当に利益が後からついてくるのかと、知らずしらずのうちに『利益』に囚われてしまうということ。望ましいのは、リーダーがよりリーダーらしい姿となれば自然と後継は育つものです。もちろん、後継者育成を考えないということではありません。日々の人材育成は大事にします。
結論を言えば、後継のことに限らず、すべてにおいて大事なことは、リーダーとしてのより正しい振る舞いを心がけ、お客様の満足を純粋に追求し、地域や業界になくてはならない存在を目指す経営にこだわっていくことではないでしょうか。ともすると、私たちは無意識にエゴイスティックな考え方に執着してしまうものです。経営者であれば尚のこと、売上や業績、会社の存続や発展、資金繰り等々、頭から離れることはないでしょう。
『執着』というものは実にやっかいです。けれども、執着をなくすことはできなくとも、何に執着しているのかと自身を見つめることはできます。売上なのかお客様なのか、会社発展なのかスタッフなのか、あるいは、企業存続のための地域なのか、地域のための企業なのかと。そしてその上で、私たちが意識できることは、執着してしまうこと以上に自身のあるべき姿、つまり、より謙虚な自分、感謝を発見できる自分、人間尊重の自分にこだわることだと思います。
今年は年頭から、暖冬やコロナウィルスの影響で経済界も大揺れに揺れています。嘆き節のひとつも言いたくなるのは、人として、経営者として素直な心情ではないでしょうか。でも、だからこそ、これまで学んできた哲学の実践が問われている、そう思っております。そのように自身に言い聞かせていると言っても過言ではないのですが、その実践が自己自身をより活き活きとさせ、結果的に、その姿が、環境や問題解決への確かな糸口になると信じています。
どこまでもリーダーのあるべき姿にこだわって参りましょう。