支えとなる
今年はリクルートスーツに身を包んだ就職活動中であろう若者を街でよく見かけます。この3年間のコロナ禍ではオンラインが就職活動の中心でしたが、新型コロナ感染も5類になりリアル(直接)面談が積極的に再開されているのだと思います。
懸命に就職活動をし、いくつもの面接を受け、内定を勝ち取り、晴れて入社となる。そして、身内は「よかったね」と安堵し、喜びを得る。しかし、中小企業における新卒者の入社後3年間の離職率は、約半数の割合にもなるとしたデータが現実にある。
多くの方々は夢と希望を持って入社する。しかし、そこに待ち受けている現実は、あまりにも厳しい。社会や組織の矛盾、そして人間関係の難しさに悩み苦しむ。それは、いつの時代においても、誰の場合でも同じかもしれない。しかし、そうした経験を乗り越えることは、自らを鍛え、人間としての力、いわば最も大切な“人間力”を育む人生道場ではなかろうかと。
どんなに、素晴らしい才能や能力、個性や性格も、人間的な弱さからそれが発揮されないことがある。また、未熟な面が多くとも、人間的な強さによって磨かれていくこともあります。強い弱いというのは一面的な表現かもしれませんが、人間力を育むことが大切だと思うのです。
先日も合同カウンセリングにて“人材育成”がテーマとなり、各クライアントオーナーと懇談しました。そこで、若手スタッフの一つの傾向として、欲のなさというか、精神的な脆さを憂うるとともに、彼らとの関わり方も難しいと。そして、彼らが育ってきた環境はどうすることも出来ない。どうしたものかと。
そこで、実は環境が人間をつくり、人間が環境をつくるという捉え方がとても大切で、人を育成する環境とはどういうことなのかを確認し合いました。
人間の成長にとって大切な環境とは何か。それは“支え”だと思うのです。
“支え”を例えれば、植樹の時に用いる“添え木”です。“添え木”があれば、少々根が弱くても、風が吹いても苗木は倒れません。つまり、支えがあることで、人は倒れない。たとえ強い人であっても、支えがなければ、思わぬ事で、つまずき倒れてしまうこともあります。だからこそ決して、自分一人になってはいけないし、また、一人にさせてもいけません。
ヒューマニズムが土壌
私は思うのです。そもそも“最近の子”が弱いのではなく、“支えとなる存在”が弱いのではないかと。会社組織においても、家庭環境にしても、“支えとなる存在”つまり我々自身の意識が、希薄になってはいないだろうかと。
“支えとなる存在”のあるべき論ではなく、あらためて、望ましい環境を追求したいのです。例えば、どんなに良い苗木でも、環境が悪ければ、育たない。環境とは、土壌や水、光でしょうか。土壌に問題があれば、いくら日当たりが良く、水や肥料をあげても、枯れてしまいます。苗木に問題がある場合もあるでしょう。しかし、土壌が変われば、育つこともあると思うのです。
また、優しさだけでもひ弱になるし、厳しさだけでは折れてしまう。殊に人間は複雑で、難しいことは痛感しています。だからこそ、なにがあっても皆で支えていくヒューマニズムこそが、目指す土壌ではないでしょうか。
以前に庭師を経験した方に話を伺ったことがあります。庭全体のバランスが大事だと。他の土壌から植え替えたことで育つ場合もあれば、枯れることもある。それぞれの草木の特徴によって場所を変えてみたり、時にはストレスを与えたほうがしっかりと根を生やすこともあると。人間組織における環境を思う時に、実に示唆に富んだ内容でした。
ヒューマニズムが土壌であるからこそ、庭にあるそれぞれの木を活かすことができる。また、様々な種類の木であっても共に成長し、色彩豊かな庭にできるのです。
最後に、支えというのは、支えて支えられてもいます。誰かを支えるということは、実は自分が支えられていることなのです。これが本質だと思えてなりません。
何があろうとも、一人ひとりを信じ、心からのエールを送り続けてまいりたい。その支えが、新しい人材の力を生み、やがて新しい勝利を開くことでしょう。