表と裏・事実と内実

光あれば必ず影があるように、一つの事柄には二つの側面がある。ある童謡詩人の詩に、とても感銘を受けたことがある。

『朝焼け小焼けだ大漁だ/大羽(おおば)鰮(いわし)の大漁だ/浜は祭りのようだけど/海の底では何万の/鰮(いわし)のとむらいするだろう』(「大漁」金子みすゞ著)

一つの事象に内包する『光と影』をとらえたこの詩に、ハッとさせられました。『光と影』、一般的には、表と裏と言えば分りやすいかもしれません。ともすると、私たちは目に見える側面で物事を判断してしまうことが多いのではないでしょうか。

 

たとえば、ある営業スタッフ。表面的には(数字だけを見れば)営業成績は振るわないが、その裏では、周りのスタッフをフォローし、同僚たちから頼られる存在であったり。

また、百万円の売上という事実。しかし、満足の追求をした結果の売上なのか、偽装表示など不正なテクニックで得た売上なのか、同じ売上でもその内実はまったく違ってしまう。

つまり、表面的な事実だけを見たのでは本当のことはわからないものです。ある意味、事実がそのまま事実とは限らない。そこには内実があるわけです。表と裏、もしくは事実と内実、この両面を正しく認識しなければ、正しい判断、正しい対応はできないと思っています。

ある現場責任者が、「何度注意しても、遅刻を繰り返すスタッフがいます」と。遅刻をするという事実だけを見て指導をしても治りません。本人の体調や体質、生活のリズム、あるいは、本人の内面状況等々、そのスタッフの内実をしっかり知らなければ本当の意味での対処にはならないでしょう。

表面と裏面(りめん)、事実と内実。両面ともに大切なことは、みなさん承知していると思います。しかし、いざとなると、表面のことに目を奪われ、一面的な見方になってしまったり、あるいは、事実に心奪われ、内実を見逃してしまうのではないでしょうか。

 

一人の深奥(しんおう)に思いを寄せる

『光と影』、それは一個の人間の中にもある。たとえば、一家団らんの時を過ごしていたり、趣味を満喫していても、心の奥底には消え去らない憂いや悩みがあったりします。また、内面では苦悩にあえぐ一方で、そうした姿を決して見せまいとする人も少なくありません。人には見せない。〝影〟の部分は、誰しもあるものです。たとえ心の内をさらけだしても、〝でもこれだけは……〟というものが。

アンリミテッド創立者は、一人の人間の心の深奥に温かな光を当てる人でした。日常的なことを言えば、人と会う時には、周りの人から事前にそれとなく近況を聞き、しかも、それは業務的なことにおさまらず、時には奥さんや子どものことまでも。そのようにして、これから会う人の〝見えない世界〟に、人知れず思いを寄せていました。

一人の人間の深奥に思いを寄せる。それは、必ずしもアドバイスや指摘をするということではなく、そっと寄り添うようなことではないかと思います。

ある社長が、スタッフと懇談する機会をつくりました。誰にも相談できず一人苦しんでいると感じ、社長から声を掛けました。その席では特別な会話はしませんでしたが、ただ、そのスタッフの苦悩を察しようとの思いだったとのこと。そうして静かな懇談をしたところ、別れ際にそのスタッフは「改めて頑張ります……」と。

思いを寄せたところで、実際には、何もできないことのほうが多いのかもしれません。けれども、思おうとしなければ、見えるものも見えず、気づけるものも気づけないのではないでしょうか。

一人の人間の深奥にまで思いをいたすことは極めて難しいことです。でも、だからこそ語るに語れない思いを、言葉にできない心の叫びを、察しようとすることが大切だと思います。

 

総じて、私たちは、『光と影』の〝影〟の部分を何気なく見過ごしてしまうものです。この〝影〟を見ようとする眼差(まなざ)しがあるのかないのか、そこに、大きな違いがあるように思います。

ともあれ、『光あれば必ず影あり』、このことを心に留めておきたいと思います。

 

参考書籍

アンリミテッド・フィロソフィー

P139・光と影、P128・人の心を知る努力 など