想定できないような事件や事故、災害が、今日もどこかで起き、瞬く間にメディアやインターネットを通じて全世界に発信されている。

見るに堪えないような現実も少なくない。

多くの人が、あらゆるリスクを回避・軽減しようと予防や対策を講じている。しかしながら、この先何が起きるのかは、誰も予測できない。

明日は我が身…いつ、誰にでも同じようなことが起こり得る時代に、私たちは生きている。

思うに“いざという時の備えとは何か”ということが大事ではないかと考えます。近年、企業経営においても、リスクマネジメントの価値が見直されております。備えとは何か?

 

当社は、経営トップに対するカウンセリング事業を行っております。経営責任を担う方々との対話を通じて思うことは、常日頃からの物事に対する見方・捉え方・考え方…すなわち“哲学”が問われているのではないかということです。

想定外の出来事に実際に直面すれば、激しく動揺し、その現実を受け止めるのは難しい。目を背けたくもなる。また、何とか受け止めようと、起きた原因を解明できても、前向きには、なかなかなれません。それどころか、これまでのことを全て悲観的に見てしまえば、後悔だけが募り、自分を苦しめてしまう…。

そのような時、私たちに問われるのは、起きた事をどのように捉えるか。過去に目を奪われるのではなく、現在をどう受け止めるのかではないでしょうか。

苦難の中にあってこそ、自律、自強の哲学が必要となる。そこから、未来は間違いなく変わっていく。そうすれば、今やれることが必ず見えてきます。様々な現実に対し、どのように受け止められるかは、自分次第であろうとも考えます。

 

経営再建の現場で、思うようにならず苦しんでいた時、アンリミテッド創立者、鈴木昭二会長から教えられたことが、今でも心に刻まれています。

曰く、『自分よりも不遇な環境、辛く苦しむ人に比べれば、自分の苦しみはどうなのか』と。

そうは言っても、経験浅い当時の自分自身には到底理解し難い。自分が苦難の渦中にいる時は、他者を思いやることは容易ではありません。

数多くの“出会い”すなわち、辛い事、苦しい事、思うようにならない様々な経験を重ね、そのような想いに立てるよう訓練し続けること。事実、そうした人…不遇な環境、辛く苦しむ人に思いを馳せれば、自分自身の置かれた状況や環境に対する有難さに気が付く。ふと、冷静に自身を見つめられる勇気が内面から湧いてくる。

こうした捉え方が日頃からできれば、いざという時でも自分を見失うことはないと思います。勿論、自身に深い次元から示唆を与えてくれる存在は不可欠であろうとも考えます。

 

人は誰しも失敗をおかすことが有ります。むしろ失敗の連続が人生かもしれません。そんな時、私たちは潔くありたいと思っています。

“潔さ”は、時には自分を傷つけてしまいます。しかし、その傷は、自らを正す‟薬“や、気付きを与える‟教師”ともなり、やがてかけがえのない“勲章”ともなる。反対に保身に走り言い訳をすれば、醜態をさらし、自らを破る因となってしまう。

誰しも良く思われたいし、その為に繕ってしまうこともある。ましてや、これまで築き上げたものが傷つき、失ってしまうかもしれないとなれば、不安と危機感に苛(さいな)まれる。

しかし、私たちが本来大事にしているのは“ありのまま”ということ。ありのままの事実を受け入れ、次に進む。マイナスもプラスも全てをありのままに受け入れ、全てを肯定的に見ること。本物の楽観主義が何よりも自分の前進ためのバネ(スプリング)になる。

“潔さ”を貫くことは実に困難ですが、我々の目指す経営の美学を、

どこまでも真正直に追求してまいりたい、そう思う昨今です。

 

「壁はいくつもある 挫折することも苦悩することもある

    だからこそ人間は大きくなれる  -鈴木昭二」

(こちらは2018年に発刊した書籍「経営の人間学」に、あとがきとして掲載した文章となります)