無限提言

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時代を感じる

無限提言131回 3月

確かなもの

「何が起こるか分からない」と多くの人が感じた米大統領選挙。一国のトップリーダーによる行動・発言に、世界の耳目(じもく)が集まっている。個性溢れるキャラクターも手伝い、新たな方針を発表するたびに、多くのマスメディアが一斉報道し、世間は不安にかられる。
こうした事象・現象を通して、本質は何かと見つめたときに思うのです。それは、常に“全てが変わりつづける”ということ。しかも、人は、既存のものや築いてきた関係性が変わる時、また意図に反することが起こった時に、どうしても心が動揺してしまうものです。

カウンセリングにおける現実的な声として、このようなことがありました。「古くから付き合いがある大口取引先の営業担当者。その信頼している彼が、急遽異動になった。すると早速、新任の担当者から契約条件の見直しを迫られてしまいました」と。また、「噂には聞いていたが、同一商圏内に大手の競合店がオープンすることになりました。これからの対応策を考えると、悩んでしまいます」と。
思いもよらない出来事に遭遇するときに、心が揺らいでしまう。そして、目の前の現実に対し、焦りと不安に苛まれます。理不尽と思える変化や流れは止めることも、拒否することもできません。
ここで確認したいのは『時代・現実は、何が起こるか分からない。その未来に「確かなもの」などない。唯一「確かなもの」は、自己自身であり、普遍の哲学以外にはない』そして『微動だにしない「KAKUSIN」を得ることこそが、今後ますます問われる時代環境になる』として“新発式”で申し上げました。
つまり、時代がどのように変わろうとも、唯一「確かなもの」は、自己自身です。ゆえに、微動だにしない「KAKUSIN」を得ることこそが、ますます問われる時代かと。そして、何が起こっても、今できることに精一杯挑んでいくことではないでしょうか。今期テーマの「KAKUSIN」は、今、正に追求すべきテーマであると、改めて実感するのです。

時代感覚を磨く

あるクライアントオーナーと懇談の折に、昨今の予想もつかない世界情勢などの話題となり、こんな問いかけがありました。「どのような時代観をもって捉えていますか」と。そこで、私は「時代観よりも、むしろ時代感覚を磨こうと思っています」と。時代観をあえて言えば“変化止まざるもの”と認識しております。しかし、それは観念的なもので、実践的には“時代感覚”を磨くことが大事だと痛感しております。
つまり、時代感覚とは、今の時代は・・・と漠然と捉えることではなく、時代は常に変わりつづけているという認識のうえで、より具体的に、今、何が求められ、何を欲しているのかという“感覚”です。そうした“感覚”を磨き養っていることで、あれを変えよう、これも変えてみようと、身近なところから自ずと、はじまると思うのです。

消費者の要望や期待に応えたモノやカタチが、時代を創り出しているという素朴な事実があると思います。だからこそ、より積極的に問題意識をもって、今の人たちの日常にある生活感覚を観察する必要があるのではないでしょうか。
身近なところの観察として、個人的に参考にしているものが“新聞の折り込み広告”であります。そこには、地域に根差した身近な情報があり、現在の生活実感が凝縮されている。そして、今のトレンドや人気商品、値頃感の動向、時季に適う商品群が様々打ち出されております。それを取捨選択し、より必要なものをタイムリーに購入されているわけです。もちろんネット購入の需要が急速に高まっていることも含め、その底流の生活感を読み取ることができます。そうして時代感覚を磨くことで、自社の商品、サービス、システムを省みた時に、「このままではいけないな」と確かな気づきが得られるのです。

単に流行を追い求めるだけではなく、身近な日常生活を意識し、時代感覚を養うことが、自分自身を耕すことになる。そうして自らを耕すことで、いざという時にアイデアのヒントとしての“芽”が出ると思うのです。そうした努力が、何があっても動じない自分自身を築くことになるのではないでしょうか。

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2017-03-02|

KAKUSIN ~確信・核心・革新~

無限提言130回 2月号

2017年 全国クライアント新発式 スピーチより

新発式では、過去一貫して「哲学実践のキーワード」ともなる「年間テーマ」を、皆様と共有致してまいりました。本年も、すでにご承知のように、そのテーマをKAKUSINと設定いたしました。このアルファベットのKAKUSINには、3つの意味合いが含まれております。それは、

  1. 信じて疑わない「確信」
  2. 物事の中心となる「核心」
  3. 新たに革める「革新」です。

さらに、付言するならば、そこに秘めたサブテーマは「スピード」であります。実に、私達は予(かね)てより「speed is power」と申し上げ続けてもおります。

さて、3つのKAKUSINでありますが、
第一に『確信』がない(弱い)から迷い、打つ手が遅くれる。何より迷いは停滞を生む。
第二に『核心』がないから臆病になる。また、臆病者は何もできない、何もしない。
第三に『革新』がないから前進もない。また、前進しないということ自体、それは既に後退である、と考えております。

では、なぜ今「KAKUSIN」なのか?
結論を先に申し上げさせていただくならば、『時代・現実、その未来に「確かなもの」などない。唯一「確かなもの」は、自己自身であり、普遍の哲学以外にはない』ということであります。
昨今の世界経済の停滞、またはグローバル社会の混迷は、果たして「確かなもの」だったのでしょうか? はたまた、国内状勢に於いても、国内経済を揺り動かした、あの東日本大震災、または、九州地方の度重なる災害は「確実」なものとして認識できていたでしょうか? そして、それぞれの業界の今現在を、過去に於いて確かな事として認識できていたでしょうか?
つまり「現実・未来は、何が起こるかわからないと実感をもって思うのです。
実際、想像以上の出来事に遭遇し「想定外」と連呼された、あの大津波の脅威も、実は、想定外なのではなく、未来は誰にも想定できないものだったのではないでしょうか?
そのような「不確かな現実と未来」を生き抜いていかなければならないとしたならば、どのような不測の事態に対しても、一切動じない、あるいは微動だにしない「KAKUSIN」を得ることこそが、今後ますます問われる時代環境になるであろうと考えます。

改めて
『確信』は実践のスピードをアップさせます。
『核心』は実践に勇気を与えてくれます。
『革新』は実践の確かな一歩となります。
この事を、まず以て申し上げさせていただきながら、さらに、カウンセリングにおける現実的な姿を借りて続けさせていただきたいと思います。

先ず、カウンセリングでは、こんな声を耳にいたします。
「カウンセリングを受け自己変革に取り組み、確かに会社の雰囲気は良くなったけれども、それが売上や利益と云った業績に連動しない
または「カウンセリングを通じて様々な気付きがあり、現場を変えようと色々やっても、数字という結果は変わらないなどと・・・。まさに「KAKUSIN」が問われている現状であると考えます。

確かに、自己変革に取り組んでいることは認めますし、様々な実践の努力も認めます。ただ「自分が変われば結果は変わる」「必ず変わる」という「確信」が弱いのです。「結果を変えるための哲学ではなく、自己変革の哲学なのだ」という事の本質に対する「核心」が不十分なのです。そして、結果が出ないと躊躇(ためら)うのではなく、絶え間ない「革新」の連続が問われ続けているのだという認識が欠けているのではないでしょうか?

まして、「自分は変わっているのに結果は変わらない」という認識は、これ「慢心」です。
この「錯覚」は、自分自身を見失う元凶ともなります。

重ねて申し添えるならば、雰囲気が良くなったのは確かですが、それは仮に「マイナス10」が「マイナス5」に改善されたに過ぎないと考えられます。つまり、未だマイナスの状態が続いているが故に、結果に連動していないのです。
「自己変革」及び「実践の努力」によって、社内の雰囲気や業務改善がなされたことと「マイナスがプラス」に転じることとは、決してイコールではないことを理解する必要があります。
譬(たと)えるならば、今ではあまり目にしない「手押し井戸」。
ご存じのように「井戸水」を汲み上げるには「呼び水」が必要です。それは「呼び水」によって隙間を埋めて配管内の気密性を高めるために行います。これによって配管内部から空気を抜き取り、必要な真空状態をつくりだします。まさに「水が水を呼ぶ」のです。

つまり、自己変革と云う呼び水によって、組織内の人間関係という隙間を埋め団結と云う気密性を高める、そして組織内部から不平や不満といった空気を取り除き、結果の変革に必要な真空状態、いわゆる意思統一された組織をつくりだす。まさに「自己変革が、結果の変革を呼ぶ」となるのではないでしょうか。
それでも結果が出ない現実は・・・。
手押し井戸の場合、その深さは概ね7・8メートルと言われています。場所によって違いもありますが、何より手押しです。一度や二度では汲み上がりません。結構な労力が必要です。それを出ない!出ない!といって、その押すのを止めてしまえば、また戻ってしまいます。まして諦めてしまえば、それまでです。すぐそこまで水が上がってきているかも知れません。しかし、まだ結果が見えていない。
だからこそ「KAKUSIN」なのだと考えます。

さらにはこんな声も・・・。
「哲学だけでは結果は出ないのではないか?思うに、能力と方法が哲学と相まって結果は出るのではないか?」と。
仮に、能力がなく打つべき手段も方法も全く行っていないという前提であれば、確かにそうとも言えますが、果たして、現実的にそうでしょうか?
私達は、その前提に於いて、一人ひとり違う「個性と能力」を持っていると考えています。「個性を引き出し」「能力を最大限に発揮する」ための「アンリミ哲学」であると固く信じております。
『能力がないのではなく、発揮できていない』
『方法が悪いのではなく、活かされていない』
私達は、それこそが真実であろうと考えています!
つまり、私たちが目指すところの「哲学の体得」という現象は、今現在有している「能力と方法」が活かされているかどうかに現れるのです。結果が出ないことで「能力と方法」を疑うのではなく、自己自身とスタッフ一人ひとりの可能性を信じて疑わない。まさに「確信」です。

ここに重ね重ね申し上げます。
『確信』はあらゆる事態(クレーム)への対応スピードをアップさせます。
『核心』はあらゆる事態(事件・事故)に対し迷わず勇気ある行動を生みます。
『革新』はあらゆる事態(変化)への確かな布石となります。

と申し上げ、新年のメッセージといたします。

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2017-01-25|

一人ひとり違う人間を知る

無限提言129 回 1月号

相手の全てを認める

「正月には、お雑煮が欠かせない」というご家庭は多いかと思います。私が社会人一年目に、先輩宅でご馳走になったお雑煮を今でも忘れられません。なぜなら、見た目も味も私が知っている“お雑煮”ではなかったのです。後日、そのことを同僚に話すと、味付けや具材、出汁などは地域によって様々であることを知り驚きました。一口に“お雑煮”と言ってもこんなに違いがあるのかと。 この時の印象を折々に思い出すのも、“一人ひとり違う”人間を知ることの難しさを、年年歳歳感じているからかもしれません。現場の諸問題は様々ですが、やはり人間関係の悩みはつきません。まして、私たちは、相手の立場に立ち、相手を理解しようと努めるがゆえに、むしろ悩まされることもあると思います。

先日も合同カウンセリングの場面でこんな質問がありました。「部下との関係で行き詰っています。自分から近づき会話も重ねてきましたが、どうしても彼を理解できず、業務にも支障がでてきました」と。また、「自分より20歳も年上で、業界ではベテランの方が入社してきたのですが、どうしてもチームの中から浮いてしまい、終には、他のスタッフから『何とかしてもらえませんか』と訴えられ、そのベテランスタッフと話し合いました。しかし、あまりにも認識が違い困惑しています。どうしたらよいのでしょうか」というものでした。 彼は、さらに質問してきました。「アンリミ書籍『創立者 鈴木昭二』に、『相手と同じ親を親として生まれ、相手と同じ時に同じ経験をしてきたならば、きっと相手と同じ発想をし、同じ行動をするだろう』との捉え方がベースにないと、相手を理解することはできないとありますが、とても自分には難しくて、できそうもありません。皆さんはいかがですか」と。一同考えさせられました。私も、このメッセージと向き合い、大事に思うことは、まず、「相手の全てを認める」ということです。そのことが相手を理解する、相手を知ることへのスタートラインとなり、相手を尊重する根本のスタンスではなかろうかと思うのです。

分かってくれる人を求めている

「相手の全てを認める」というと、それは、相手のマイナス面や時に過ちさえも全て肯定するということでしょうかと、聞かれることがよくあります。微妙なところですが、相手の非や誤りを肯定するということではなく、まず、相手の全てを受け止めようというこちらの内面が、大事だと思うのです。   誰の場合でも、素朴な感情として自分の過ちを指摘され、正されることよりも、自分のことを本当にわかってくれる人を求めているのではないでしょうか。「やっと自分のことを分かってくれる人に出会えたことで救われました。それが転機となりました」という体験談などは、貴重な真実の一側面を表しているように思います。 とかく、陥りがちなことは、何とか相手に気づいてほしい、良くなってほしいという、こちらの感情が優先してしまい、言ったことが逆に相手のマイナス感情を引きだしたり、しこりを残したりします。そのような、後になって後悔するという経験は、誰しもおありかと思います。しかし、そうとは分かっていながらも自己感情に負けてしまうのも生身の人間です。 だからこそ、そこで「ちょっと待てよ」と、意識的に何度も何度も繰り返し自分に問いかけるのです。「ちょっと待てよ」と切り替えられるような自分に挑み、身に刻んでいくのです。積み重ねのなかで、五回に一回、三回に一回と失敗が減っていくのです。 そう簡単に身に付くものではないと実感しています。分かったからできるというものでもありません。学び続ける、実践し続けることです。

『心情を察する』とよく言いますが、“情”の字は“心”に“青”と書きます。私たち人間の“心”のなかには、語るに語れない苦しみや悩みというような“ブルー”の部分があると思うのです。 そして、思うようにならない現実を前に、自分でも悪いと思いながらもどうしようもない感情に苦しむことがあり、また、情熱の炎が弱々しく消えかけることもあります。 そんな時に、自分の全てを受け止めてくれ、認めてくれ、分かってくれる一人の存在がどれほど大切なことか。ともあれ、「よし頑張ろう」と、心の種火に情熱の息吹をおくることのできるリーダーを目指したいものです。  変化して止まない人間を知ることが、いかに大事なことか。どこまでも人間尊重のアンリミ哲学を本年も共々に励まし合いながら研鑚してまいりたい。

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2016-12-30|

なぜ、何のため

無限提言128 回 12 月号

目的の存在

2016年も残すところあと1ヶ月、師走である。何かと気忙しい年の瀬を迎えますが、新年に向かい、来年はこれに挑戦しよう! あれもはじめてみよう! と思いを巡らせている時期ではないでしょうか。そして、クライアントオーナーにおいては、来年こそは是が非でもこの難局を乗り越えたい、新たな展開で流れを起こしたいと新年に向けて強い決意を胸中に抱かれていることと思います。

今年度の弊社のテーマを“KAKUSIN”と定めたことは前号で紹介いたしました。そこで、あるクライアントオーナーが「私達も“KAKUSIN”をテーマにし、さっそく“百作戦”を実践しています」とのことでした。オーナー曰く「百個を箇条書きにして、一つひとつ実行して消していくのは結構大変ですよね」と。そんな懇談の中で、私は敢えて確認させて頂きました。「百作戦の目的は? 何の為でしょうか? 100項目を0にすることではありませんよね」と。それは言葉じりをつかまえた理屈ではなく、むしろ共に目指すテーマを実現していきたいとの思いからです。私たちは、往々にして手段と目的を誤ってしまうものです。真剣に取り組むがゆえに“やらなくてはいけない”という思いが先になってしまい、いつのまにか“やること”がすべてになる。そうなると、疲れるし、充実感も得られません。やっていることが無意味ということではありません。それは、試行錯誤の連続です。だからこそ、常に一つひとつの事に臨むにあたり、なぜ? 何のため? という目的の存在を意識し、常に確認することが大事になるのです。目的が明確になると、同時にテーマや課題、また、「いつまでに」「どのように」というような具体的目標も方法もはっきりしてきます。

あるビジネスホテルの改装の相談に同席する機会がありました。オーナーは、「改装の目的は、お客様に満足とスタッフの働きやすさを現実化したい」と。そこで私は“和”というテーマで目的を追求することを提案しました。すると、「玄関から靴を脱いでいただこう」、「ゆっくりくつろげるように部屋は畳敷きに」、「大きいお風呂とサウナが喜ばれる」等の意見が改装に関わるメンバーから飛び交い、改装の姿、カタチができあがってきました。「綺麗にしたい、売上を上げたい」とした漠然とした目的だけではなく、目的の存在と明確なテーマがあるからこそ、はっきりとしたカタチを創っていけるのではないでしょうか。

 

目的の自覚

どんな些細なことでも目的の確認、もしくは自覚することが大切であると皆様も理解し、認識もしておられることでしょう。しかし、本当に大事にしているかと言えば難しいものです。
経営現場においては、現実を変えようと必死に、真剣に努力をされている。しかし、思うような手応えが感じられない。空回りしていることに焦り、苛立ち、そして迷う。こうした内面世界は、原点または目的を見失ったときに陥る“行き詰まり”ではないでしょうか。まさに車でいえば、ギアを入れずにアクセルを懸命に踏んでいるようです。

このような時にこそ素朴に、純粋に「なぜ? 何のため?」との目的の再確認をすることです。そして、心掛けることは、分からないことを聞くだけではなく、分かっている、これと決めていることでも、きちんと言ってくれる方に確認する。つまり、確認という聞き方もあるのです。

ゴルフをやられている方は皆様経験があるかと思いますが、自分では、まっすぐに打っているつもりでも、どうしても右の方向に飛んでしまう。そこで、あれやこれやと修正するもののますます分からなくなる。そんな時に、仲間に聞いてみると、そもそもスタンスが右を向いているよと、あっさり言われて気がつくのです。あまりにも卑近な例ですが、そういうことだと思うのです。本当に怖いのは、精一杯の努力をしながら、自分を見失ってしまうことです。

行き詰まったら原点に戻る!あるいは原点に帰ることが、前進の力となり、踏ん張れるエネルギーともなるのです。目標のための目標にはしてはいけない。小さなことから、身近なところ一つひとつ、「目的は?」「これは何のためだった?」と自問するところから挑戦していきたい。

自分に立てた決意を無駄にしない一年にするためにも。何より人生や仕事に対して真正面から向き合うためにも。あらためて、目的の自覚がいかに大切で重要か。しかもその確認は極めてシンプルだと思うのです。

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2016-12-01|

KAKUSIN ~革新・核心・確信~

無限提言127 回 11 月号

年間テーマ

 私たちアンリミテッドは、2016 年10 月から第33 期をスタートしております。あ らゆる企業が、厳しい現実をいかに乗り越えるかと必死です。「何を、どのようにした ら、突破口が開けるのか」と。そこで、私たちは、今期に臨むにあたり年間テーマを、 『KAKUSIN ~革新・核心・確信~』と掲げました。経営現場は常に迷いと不安に苛ま れます。だからこそ、そうした内面環境を打ち破り、果敢に挑みきって行こうという私た ちの強い意志が必要です。すなわち、この年間テーマです。
先日も、何人かのクライアントオーナーから今期のアンリミのテーマは決まりましたか と確認がありました。「数字や売上目標も大事だけれども、戦いには意思統一の柱とな るテーマが必要ですから」と。そのようなクライアントが少なからずいらっしゃることを 思い、弊社の年間テーマではありますが確認したいと思います。

 ひとつめの『革新』とは、全てを新しく改めること。多少の変化では、調整や修正の域 を超えません。次の『核心』とは、ものごとの中心となる最も大切なもの。つまり、理 念や目的であり、不変の哲学です。そして『確信』は、その哲学を固く信じて疑わないこと。 また、固い信念です。一つではなく、これら三つの思いを『KAKUSIN』に込めることで、 今という時代が求めているテーマであると同時に、普遍のテーマともなり、急所がある と感じています。
このテーマを“ 車” に例えると、より分かり易いのでしょうか。『革新』 は(車体)。『核心』は(エンジン)。『確信』は(ガソリン)と。車体(革新)とエンジン(核 心)はガソリン(確信)がないと動かない。車体(革新)とガソリン(確信)があっても エンジン(核心)が壊れていたのであれば動かない。要するに、この三つは一体なのです。
革新にパワーと破壊力を与えるのが核心。そして前進を阻む障害や困難にも負けない エネルギーが、確信であり信念であり執念ではないでしょうか。
しかし、言葉の意味は理解したとしても、実際の現場において現実化することは実に 難しいことです。社歴が長ければ長いほど、積み上げてきた制度やシステム、複雑なし がらみもあります。また、習慣というものも実に恐ろしいものです。そして、ついに変え ざるを得ない現実の状況が迫っても、何ともできないで立ち止まってしまう。

勇気と決断

 そこで必要なことは、勇気と決断ではないでしょうか。積み上げてきたものから 降りる決断や、しがらみや習慣を破壊する勇気です。本来目指していた原点、そも そもの源まで遡れば、「もう一度そこに立ち返って、こうしてみよう!」と勇気が湧き ます。そして、“ 今までやっていなかったことをやる。” 実にシンプルなキーワード ですが、これは「調整」や「修正」の類ではなく、今までの当たり前を覆す「挑戦」 への決断となります。そこには当然リスク、メリット、デメリットがあるでしょう。そ れを承知し、覚悟したうえで「これをやろう!」というのが今期のテーマです。
私は思うのです。継続的に結果の変革を実現化するのは、決して簡単なことでは ありません。だからこそ、「決して、このテーマを画餅にしたくない」と。  挑戦への意欲や昂りも時間経過の中で、目の前の問題や、迫りくる現実に追われ、 いつのまにか希薄になりがちです。故に、二つのことを常に大事にしていきたい。
一つめは、“ 善友” です。同じ志を持った良き仲間です。この人間空間に触れ、 共に語り合うことで、自分自身を見つめ直せる。一人になってはいけない。共に励 まし合うことで、新たな決意ができます。自己変革の軌道もここにあります。
そして、 二つめは“ 自己研鑽” です。『核心』ともなる成功哲学を学び続ける。より確かに、 より深く、より強く。それは同時に、テーマの現実化を妨げる障壁や問題に紛動さ れない自分自身へと磨き上げることになります。
いざ、『KAKUSIN』に挑戦してまいりましょう。挑むがゆえに、現実の厳しさに、 思い悩み、立ち止まり、行き詰まることもあるかもしれません。だからこそ、善友 と共に励まし合い、共に核心を磨きながら、結果の変革への直道を確信と信念をもっ て歩み続けてまいります。

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2016-11-01|

決定するプロセス

無限提言126 回 10 月号

信頼される一人の存在

先のオリンピックにおける各国選手団のユニフォームや、大会エンブレムは強いこだ わりやオリジナリティを感じるものでした。その決定までの過程には、多くの時間と人 の力が結集されていることでしょう。迷ったり、悩んだり、様々な意見を聞いたりと紆 余曲折しながらも一つのかたちに決定する。そこには大変なエネルギーが費やされてい ることを感じます。企業においても名刺やパンフレット、そして、シンボルマークやコー ポレートロゴには会社の強い想い、主義主張がつまっていることと思います。こうした デザインに限らず何かを決定していく、物事を決定するプロセスは実に難儀なことと思 います。私は、一つの物事をつきつめて、決定していくそのプロセスそのものに価値を 感じるのです。そこで私たちは、物事を決定する過程において「衆議を経る」ことが大 切であると、メッセージしております。それは「1.問題提起(打ち出し)をし、2.全 員で検討し、3.決定・結論、とのプロセスを経ることです」と。ところが、実際の現 場においては、この「衆議を経る」ことが難しいと言うことをよく耳にします。トップリー ダーがスタッフに問題提起をし、意見を求めても「特にありません。よく分かりません」 と、形だけの意見聴取になってしまいますと。または、スタッフ一人ひとりの異なる意見 を、なんとかひとつにまとめようとすると「いや、自分の意見は違います」と。結果的 にまとまらず、バラバラになってしまう。また、あるリーダーは、全員で検討する時間や 余裕などないと、次々と決定事項を一方的に伝える。すると、現場は不満で一杯になっ て混乱してしまいましたと。「衆議を経る」と聞けば、なるほどそうかとなるが、実際は「衆 議を経たら反対にまとまりません」となることが多いようです。そこで大事になるのは、 信頼される一人(トップリーダー)の存在です。要するに、トップリーダー自身に対する 常日頃からの信頼感や、スタッフの納得性が大切だと思うのです。その存在があるから こそ、様々に個性あるスタッフが賛成・反対と自分の意見を言ったうえでも、最終的には、 その信頼をベースに一つにまとまっていくのではないでしょうか。では、トップリーダー に対する信頼、もしくは納得性がなければ、「衆議を経る」ことはできないのでしょうか?

信頼の種

そもそも、トップリーダーの判断は現場スタッフとギャップがあるものです。それは、 責任感や経験値、また能力に違いがあるためです。そこで、トップが現場とのギャップ に対して向き合っていくことが、必要なのではないでしょうか?一方、現場スタッフは納 得が不十分だとしても、決定した通りに行動します。そして、トップリーダーもそれをフォ ローしていく。そうした繰り返しのなかで、少しずつプラスの結果が出てくる。その結果 に「なるほど、そうか」と実感を得て、はじめて納得が後からついてくるのです。トップ リーダーに対する尊敬心や信頼する心は、その納得性が積み重なり、築かれていくので はないでしょうか。  また、トップリーダーでも間違いはあります。望んだ結果ではなく、失敗してしまうこ ともあります。 そのような時は、現場からの納得性も得られず、信頼につながらないこともあるでしょう。 しかし、そこで大切なのは、トップリーダーの“ 潔さ” であり“ 謙虚な振る舞い” です。 「ごめん」と言える潔さ、「次はこうしよう」と改める謙虚さが信頼につながると思いま す。たとえマイナスの結果であっても、リーダーの振る舞いひとつ(種)で信頼につなが ることがあるのです。あらためて、信頼を勝ち得てから、「衆議を経る」ということでは ありません。信頼を勝ち得るためにも、みんなの意見を大事にしたいという思いで「衆 議を経る」ことに挑みましょう。なかなか意見が出なくとも、粘り強く聞いて、一人ひと りの意見を調整しながら一つひとつやっていく。そして、少しずつ信頼を得ながらスタッ フの意見を総合して、「みんなでがんばっていこう」という状態を作り上げていくのです。 そうするなかから、「自分たちの意見も反映されているな」という「信頼の種」が生まれ てくるのです。そして、その一つひとつの信頼の種は、スタッフ自身の意見や、より活発 な意見を生み、やがて組織を力強く推進していくエネルギーになると思うのです。

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2016-10-01|

不正事件に思う

無限提言124 回 8 月号

不正はどこからでてくるのか

大手自動車メーカーのデータ改ざん、首長の政治資金問題、東日本大震災後の原発 事故に伴う隠ぺい問題。これらは、まさに日本を代表する大企業や期待を寄せたリーダー に関する不祥事でした。こうした世間で話題となっている事件や出来事のニュースに接 する時、よそごとではなく、自身の身近にも起こりうる問題として捉え考えるという習慣 に何時の頃からかなっている。 そして、思うのです。組織であるならば、規模の大小によらず、不正を引き起こす危険 が潜んでいるのではないかと。また、不正はどうして起こるのか? また、なぜ起こるか?  こうした問題の本質は何なのか? と。  そもそも、一人ひとりの思いに、最初から悪意があったのでしょうか。察するに、し らずしらずのうちに見る方向を誤ってしまった結果のように思います。 頭ではスタッフや利用者のことを考えながらも、いつの間にか、会社の存続や業績に目 が行き、スタッフ一人ひとりにおいても、いざという時に、自身の立場や上司の顔色を伺 うようになった結果のように思います。 こうした狂いや誤りは、残念ながら、誰でも、何処でも、いつの時代でも変わらないこ とのように思います。それは、本能的にもっている自身を守る保身と利己、つまりは人 間のもつエゴイズムに行き着くように思われます。  そして、不正を助長する大きな要因に、「言えない」「言いづらい」という問題があります。 上司からの不正の指示に対して、「それは、おかしい」という思いを伝えられない。会 社のためにと現場がやっている不正に対して、「これは、だめだ」と指摘できない。あ るいは、社内の不正を知りながらも誰にも相談できない。 つまり、「情報の遮断」ということが、結果的には、会社を、上司を、自身を苦しませ、 悩ませることになるのです。 情報の共有がなされていないところに、まさに、組織の弊害が様々な形で現れるように 思えてなりません。 健全な組織とは、気付いた人間が不正を指摘し、不正でなくとも何か疑問があれば確 認をし、思うことがあれば相談できる組織なのではないでしょうか。

何をもって企業統治するのか

不正予防、顧客満足、社内のモラル向上、そうした観点から、近年、コンプライアンス(法 令順守)、コーポレートガバナンス(企業統治)というフレーズを耳にする機会が増えて きています。  当然の対策の帰結ともいえるでしょう。しかし、様々なルールやシステム 制度や規 制が重要なことは認めざるを得ないとしても、はたして、法や制度で人間を統治するこ とができるのでしょうか。また、規制やルールで統治しようとすれば、人間関係は希薄 になり、さらには、窮屈になりはしないでしょうか。改めて感じることは、人間愛、人 間尊重、相手中心といった、ヒューマニズムを根本とした哲学が企業統治のベースにな ければ、何をしたところで十分には機能しないということです。  逆に、企業統治のベースにヒューマニズムがあればこそ、事細かな制度や規制を潤滑 にさせ、仲間を仲間として率直に語り合い、マイナスの情報をも共有し、改めるべき方 向へと共に行動するのではないかと思うのです。つまり、ヒューマニズムの心をいかに 育んでいくかという視点を見逃してはならないと思うのです。是非とも、互いが互いを 助け合い、励まし合い、補い合う組織づくりを目指したいものです。  以前、創立者鈴木会長は、懇談のなかで「今の大企業は昔、下請けを泣かせるよう なこともしてきただろうし、規則に沿わないこともしてきたはずだ」と。 つまり、どんな大企業もはじめは零細企業で、なんとか会社を発展させよう、成長させ ようとするプロセスのなかには、今でいう『ブラック』と言われることがあったのかもし れないと。しかし、このままではいけないと気づき、自ら是正してきた結果として、社 会から信用される企業になったのではないでしょうか。  そこで大切なことは、図らずも社内の不正が発覚したならば、素直に非を認め、大胆、 かつ積極的にヒューマニズムを根幹とした組織に改めることです。そうした『潔さ』が 私たちに問われていることだと思います。

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2016-08-01|

なぜ個人面談をするのか

無限提言123 回 7 月号

思いを整える

アンリミテッドではクライアントに対し、スタッフとの一対一の面談や対話を促すこと が少なくありません。一般的にも、社員の目標管理や実態把握などのために個人面談が なされていることが多いようです。そこで、なぜ一対一の面談や対話をするのか、また、 どういう面談・対話をするとよいのか、改めて確認したいと思います。  さて、会社組織は、考えも価値観も一人ひとり違う様々な人間の集まりです。ですか ら、多くの企業では、大小の会議を通じ、目標や施策を共有し同じ方向へと向かうよう にしていると思います。けれども実状は、会議が終われば、本当は反対だった人、意見 を言えずにいた人、やる気を失った人、あるいは、勘違いや捉え違いをした人など様々 あるのではないでしょうか。  そこで大切なことは、そうしたバラバラな思いを拾い集めて、思いを整えていくこと です。仮に、「会議で決めたことだから」と一方的に押し付けたのでは、表面的には決 めた通りに動いたとしても内実は上手くいかないものです。  思いを整えるとは、会社の意向に従わせるためということではなく、スタッフの思い や捉え違いをしっかり受け止めたうえでスッキリした状態にすることです。それには、個 別の対応がどうしても必要になってくるのではないでしょうか。  要するに、会社の方針やリーダーの思いを一方的に伝えるばかりでなく、スタッフ一人 ひとりが何をどう考え、どう思っているのか等々、様々な対話をすることがとても大切な ことだと思うのです。

同じ仲間として

個人面談をする際のテーマは、意思の統一の他にも、スタッフ育成、スタッフを知る、 信頼関係づくり、様々あると思います。そこで思うことは、日頃の会話も少ない状態で 個人面談をしても、どれだけ本当の思いを語ってくれるのでしょうか。あるいは、思い を伝えたところで、どれだけ本気で受け止めてくれるのでしょうか。  実は、面談をするからスタッフのことをよく知るのではなく、仲間としてもっとよく知 りたいという一人の人間に対する関心があるから、知ることに繋がるのではないでしょ うか。また、仲間として一緒に頑張ろうという思いがあるから、思いが伝わるのではな いでしょうか。  危惧するのは、興味も関心もない状態で形ばかりの個人面談をすることです。話しや すい表面的なことだけを聞いてスタッフを知ったつもりになったり、要望や現状を聞くふ りをして最後には思っていることを押し付けたり、あるいは、目標や課題に対する正論 を説いて自分一人だけが満足したりと、無意識ながらも、そうしたことが往々にしてあ るように思います。共に働く仲間を、商品をつくる技術力、販売やサービスをする労働力、 売上を上げる人員、要は会社組織の歯車と見てはいないでしょうか。一人ひとりを生身 の人間として見ることがとても大切なことだと思います。  改めて言いますと、個人面談という形式が大切なのではなく、同じ仲間としての対話 が大切なのです。問題を抱えているようならば話を聞き、行き違いがあるようならば話 し合うというような、常日頃の対話です。 チームワークや組織力が大切なことはみんなわかっています。しかし、お互いのことを 理解せずにチームワークを発揮できるのでしょうか。業務上の連携や報連相だけでチー ム力を発揮できるのでしょうか?  ともすると、業務優先になりスタッフとの対話が不足するものです。お互いに理解し 合う対話や思いのギャップを埋めるような対話が日常的になされることが大切だと思い ます。

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2016-07-01|

生き生きと蘇らせるリフレッシュ

無限提言122 回 6 月号

リフレッシュの中身

リフレッシュすることの大切さは誰しも感じていることと思いますが、スタッフをリフ レッシュさせることは、意外と難しいことのように思います。  一般的にリフレッシュは、セルフコントロールの一環として各自がプライベートの時間 にするものと考えられています。けれども現実は、仕事を休むことで意気揚々と元気に なることがある一方で、休んだところで心は休めない場合もあるのではないでしょうか。 つまり、セルフコントロールでリフレッシュすることもあれば、なかなかできないことも ある、その両面を考える必要があるように思います。  辞書にはリフレッシュを「元気を回復すること」「生き生きと蘇らせること」とあります が、創立者鈴木会長は、こう表現したことがあります。「どんなに性能のよいエアコンも、 フィルターが目詰まりしていれば、本来の性能を発揮することはできない」と。 エアコンの場合にはフィルターを掃除すればよいのですが、人間の場合にはどうすると よいのでしょう。また、何が目詰まりするのでしょう。  思うに、単に疲れだけではない、悩みや心配事、プレッシャーや迷い、あらゆるもの が詰まっている状態から、本来の元気な状態に回復すること、それが望ましいリフレッ シュだと思います。  私が地方の結婚式場の総支配人を任され、休みもとらず現場改善に悶々としていた頃 のことです。鈴木会長は言うわけです。「東京にこういうレストランがあるから食事でも してきなさい、参考になるかもしれない」と。  結果、レストランへ行きリフレッシュするわけです。質の高い料理とサービスを体験す ることによって現場改善の糸口をつかみ、且つ、会社から離れることによって現場の閉 塞感から脱するよいきっかけとなりました。まさに、生き生きと蘇ったのです。それは、 休めと言っても休みそうにない私への会長流の心配りだったように思います。  要するに、リフレッシュするには、より意欲的になるような中身が伴うかどうかが大 切なのではないでしょうか。

心の草取り

たとえば、花見や忘年会、社員旅行や社内レクレーションなどもリフレッシュの一つ だと思いますが、そのような場面で鈴木会長からよく言われていたことがあります。「楽 しんでいる人たちよりも浮かない表情をしている人に目を配りなさい」、「参加した人より も、参加しなかった人のことを思いなさい」と。  つまり、全体として盛り上がっているかどうかだけではない、一人ひとりに対する心配 りがあるのかどうかが、微妙な違いを生み出すのではないかと思います。たとえば、「楽 しかった、けれども明日から仕事か・・・」となるのか「楽しかった、明日からさらに頑 張ろう」となるのか、というような。  また、会長はこうも言っていました。「日頃から、心の草取りをしなさい」と。つまり、 不満があればよくよく話を聞いて不満を抜き取り、不安があれば寄り添い、迷っている ならば迷いを断ち切るような激励をする。たとえ特別なことはしてあげられなくとも、な かなか言えないような胸中を吐露することができたならば、それは心の草取りに繋がる ように思います。そうして雑草を丹念に取り除いた分だけ、「何か吹っ切れました」、「や る気がでてきました」というような状態に繋がるのです。  要するに、一人ひとりに対して本当に丁寧に対応することです。どこに悩みがあり、 何を苦しみとしているのか。自分が直接関わるのがよいのか、幹部に関わってもらうの がよいのか、あるいは、どうすれば違った角度から物事を考えるきっかけになるのか。 また、どういうシチュエーションならば話しやすくなり、食事ならば何が喜ぶのかと、心 を砕き、心を配って、心を尽くすことです。  日常、苦しみが鬱積していたのでは、休暇を提供しようが、楽しめるイベントを提供 しようが、何をしたところで、結局、『生き生きと蘇る』ようなことはないように思いま す。それどころか、「もっと自由な時間が欲しい」「社内行事は義務ですか」というような、 一見もっともらしい不平不満がでてくるように思えてなりません。  苦しみをどれだけ抜き取ることができるのか、それがベースにあってこそリフレッシュ するのではないかと思います。目に見えないところに実は本当に大事なものがあるよう な気がします。

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2016-06-01|

思うようにならない人

無限提言121 回 5 月号

どういう思いをベースにするのか

思うようにならない人を「なんとかしたい」と試行錯誤されている方は多いと思います。 けれども、何回言っても聞かない、変わらない、そればかりか反発される等々、なかな か思うようにならないことが多いものです。結局は、「何を言っても無駄だ」と諦めたり、 「本人が気づくしかない」と関わることを避けるようにもなるのではないでしょうか。心 中を察するに、相当な苦悩や葛藤があるのではないかと思います。  思うに、そもそも人は思い通りにはならないものなのではないでしょうか。自分自身 すら思うようにできないことが多いのではないかと思います。つまり、「思い通りになら ない」、その認識が先ず大切なことだと思います。  その上で、結論的には、人間尊重・相手尊重の思いに立つことが大切です。確かに、 「なんとかしたい」と思うその多くは、決して自分のためではないでしょう。相手のため、 お客様のため、あるいは、みんなのためだと思います。  ところが実際には、相手にわかって欲しいという『自分の思い』が強くなってはいない でしょうか。つまり、相手のことを思っていても、自分優先になってはいないでしょうか。 「なんとかしたい」という思いをベースにするのか、相手を尊重しようという思いをベー スにするのかによって、すべてが違ってきます。  たとえば、「何回言っても聞かない」と相手を問題にするのでなく、「何回か言った程 度ではまだ足りないのだな、もう少し工夫をしよう」と自分の問題として捉える。また、「こ うして欲しいけど、どう思う?」「この日までだと助かるけど、どうだ?」と、相手の思い を尊重したうえで、こちらの意向を伝えるというような違いになるのではないでしょうか。

思いと伝え方

あるリーダーは、「相手の思いを尊重し、自分の思いをしまい込めばよいのでしょうか」 と。そういうことではありません。リーダーとして言うべきことは言うし、指示も注意も アドバイスも、やるべきことはやります。  また、あるリーダーは、「相手によっては言いづらいです」と。言って変わるかどうか は相手の問題ですが、言うかどうかはこちらの問題です。  さらには、「言うべきことを言えば、さらに頑なに拒否されそうです」とも。  こちらの思いが上手く伝わるかどうかは、自分自身の課題です。つまり、思いと伝え 方の両方が大切です。相手を変えたいという『自分』が強ければ、話し方や話す場所を 変えるなどの工夫をしたところで、相手には入りません。かといって、思いは正しくとも、 的外れなやり方では、上手くはいきません。

相手の思いを叶える

思うようにならない人とどう向き合うとよいのか。哲学的には、相手の思いを叶えた分 だけ、相手はこちらの思いを叶えてくれる。これは本質です。 思いを叶えるとは、今ある具体的な要望に応えるばかりではありません。実際には、思 いを受け止めることが相手の思いを叶えることになるとも言えます。 言ってもやらない、何か言えば反発する等々の問題は、よくよく話を聞けば、指示に不 満がある、よかれと思い指示と違うことをしている、能力や経験が不足している、ある いは、素直に聞けない要因が他にもある等々、様々な事情があるのではないでしょうか。 つまり、相手の思いを受け止めようともせずに、人を動かそうとしても、なかなか難し いのではないでしょうか。あるスタッフのことで顧客からクレームが入り、注意した時のことです。そのスタッフは、 「ハイ」と返事をしますが、なかなか改善しません。それで再度、話すと、「自分として はこういう思いでやっていました、私は悪くない」と怒るわけです。なので今度は、その 思いを聞くようにしました。結局、思いをすべて吐き出してはじめて、納得するわけです。 要は、思いを吐き出した分しか、こちらの思いは入らない。相手には相手なりの言いぶ んがあるわけですから。  指示に反対するつもりはなくとも、「そうは言っても・・・」「でも、現場は・・・」「私 としては・・・」というような思いがあれば、その分だけ自然と行動は鈍くなるものな のではないでしょうか。  最後に、哲学の実践とは、一回で何か劇的に変わるというようなことはありません。 何度も何度も、相手と向き合いつづけるなかに変化というものが起こってくるのです。 ある意味、変化するまでやりつづけることが物事に取り組む姿勢とも言えます。そのプ ロセスの途中で諦めないことが大切だと思うのです。

2016-05-01|