無限提言

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事業展開を考える

無限提言134回 6月号

苦し紛れはいけない

最近、何社かのクライアントが新しい事業を展開されています。
『良かったですね』、『オープンが楽しみですね』と仲間からの祝福と励ましのエールが贈られる。みんな心から成功を願っている。一方で、笑顔でこたえるオーナーやトップリーダーの胸の内には、言うに云えない不安や悩みを常に抱えているのではないでしょうか。私自身も新規事業やリニューアルなどに関わるなかで、その大変さや難しさを痛感してきました。
また、『新たな事業展開を考えていますが、どうでしょうか』と、意見を求められる時がありますが、慎重にならざるを得ません。なぜならば、実際に、誰がやるのか、何処でやるのか、そして、どのような考え方を基に展開しようとしているかによって、すべてが変わってしまうからです。

さらに、事業計画を描き推進していくうえには、越えなければならない壁が、次々と現れます。第一の壁は、臨むにあたり、迷いを払拭し、意を決する自己自身の壁。第二の壁は、資金手当てが本当に可能かどうかという諸条件の壁。そして第三の壁は、当初の計画と実際の工事などに生じる現実のギャップという、計画と現実の壁です。敢えて、三つの壁としましたが、いくつもの難題が待ち受けています。
どうしても新規事業という表向きに目が向きます。しかし、内実は、こうした難題があるのです。そこで、私は思うのです。新規事業とは、実は、トップリーダーの夢や希望という想いを実現することだと。そうした、トップリーダーの想いによって、結果は大きく変わってしまうのではないでしょうか。

それだけに、危惧するのは、往々にして、苦し紛れで始めてしまうことです。分からないわけではありません。何とかしなければ、このままではいけないと思いながらも、どこか余裕があるうちは動けないものです。そしていよいよ苦しくなって決断する。
新規事業における一つの急所を凝縮して言うと、希望を持ってやるのか、苦し紛れでやるのかの違いにあると思っています。

正しい判断基準

希望や夢を実現するためにはどのように事業展望を描けばよいのか?
あるいは、苦し紛れになりそうな時に立ち返る術は?
そのためにも、正しい判断基準が求められるのではないでしょうか。
ここでは、二つの角度を提案したいと思います。

一つは“考え方と人と場所”です。
前述しましたが、“どのような考え方”で、“中心者は誰”で、“何処”でやるのか。ある意味方程式です。
とかく、この仕組みでやれば、何処で、誰がやっても成功しますという方もおりますが、一見正しそうで、実に危険だと思います。やはり、中心となる“人“が大事です。人によって変わります。そして、考えている事業は、展開する地域性によっても自ずと違ってきます。一つの成功事例を参考にし、研究することは大切なことですが、同じようにはいきません。極めてシンプルですが、とても大事だと思っています。

もう一つの角度は価値観です。“考え方”の基となる価値観が問われます。私たちは、“美・利・善”という価値を追求しております。そこで、事業内容を“美・利・善”の価値”に照らし合わせます。
例えば、ホテル・旅館や店舗のリニューアルをするとします。そこで、時代感覚を踏まえ、コンセプトやストーリーに沿った素敵なデザインという“美の価値”を追求し、“利の価値”としては具体的な価格設定やコスト等、事業として収益性を検討する。そして、事業の目的は、地域やお客様、スタッフの喜びという“善の価値”となっているのか。これらの価値は、お客様やスタッフはもとより、協力関係者の共感するものでなければいけません。時に成功を願うあまり、目先の利益にとらわれ犠牲を強いることも少なくありません。自分自身のみの価値観(独善的)に陥れば、決してお客様や社会には認められないのです。

様々な事業展開に挑む。しかし、未来は誰しも不安です。確かなことなどないからです。だからこそ、不安を上回る「希望」や「夢」の裏付けともなる正しい判断基準が大切です。こうした基準があることで、誤った決断をしなくても済むでしょう。そうした立ち返る術があることで、確かな前進ができるのです。

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2017-05-29|

ストレスのなかに生きている

無限提言133回 5月

相談できる人

誰もが楽しみなゴールデンウィーク。業種や業態によっては、むしろ繁忙期となる場合もありますが、過ごし方は様々かと思います。そして、このゴールデンウィークが明ける頃から、心や体の不調が表れることを、世間では五月病と呼んでいます。新年度からの環境の変化に適応できないストレスが、大きな要因とされています。新しい環境や課題に、必死に挑戦していくが、過度なストレスに心が病んでしまう。こうした背景を踏まえ、国はメンタルヘルス不調者の予防策として、ストレスチェック制度を義務化するまでになりました。この制度は、経営者と本人に、ストレスの軽重を気づかせ、職場改善につなげる目的があるようです。
最近では、こうした問題の相談が多いのです。どうしたらストレスが解消されますか?その対処法は?と。どうしても話は、ストレスそのものが問題となりがちです。
そこで、先ず大事にしたいことは、私たちは、常にストレスのなかに生きているという認識を持つことだと思うのです。そもそも地球上に存在する限り、常に重力というストレスがかかっています。飛躍しているかもしれませんが、生きていれば、必ずストレスはあります。つまり、ストレスのなかに生きているのです。
しかし、実に厄介なことは、人が感じるそのストレスの程度は、一人ひとり皆違う。それぞれに違うストレスを抱え、生きている。そこが難しい。
また、ストレスには落とし穴があります。それは、本人としては精一杯頑張っているので、自分を客観視できなくなり、自分自身を見失ってしまうのです。
人は、ストレスによって鍛えられもするが、ストレスに耐えられる限界値もあります。本人にとっての過度なストレスは、病や事故をも引き起こしかねません。

そこで大事になるのは、相談できる、話せる人の存在です。あの人には本音で話せる、本気で受け止めてくれるという存在は、極めて大事になります。本人が持つストレスは周りから見えないし、特定もできません。自分自身が苦しい時に、心が折れそうな時に、何でも相談できる存在を身近に置くことです。そうすれば、現実のストレスはなくなりませんが、自身の内面にあるストレスが緩和できるのです。

持つべきストレス

相談できる人の存在。そうはいうものの、相談できる人、支えとなる存在がいない。そこで、どうすればよいのかと思われるかもしれません。
ここで、やはり“聞く”ということの大切さを確認しておきたいのです。私たちは、親や先生、人生の先輩から様々なことを聞いて教わり、育てられました。聞くことで、成長をしてきました。しかし、年齢を重ねるにつれ、次第に自ら聞くことが少なくなってしまう。聞いて、成長してきたのに、聞かなくなれば、成長も止まってしまいます。実は、この素朴に“聞く”ということは、自身のキャパシティを開き、拡大していることでもあるのです。同時に、自己感情中心の自分から、相手感情優先への挑戦ともなっているのです。

日常の現場でいえば、遅刻してきたスタッフがいる。頭ごなしに「何やっているんだ!」と叱る。一方、先ずは「何かあったのか?」と聞く。これは、大きな違いです。
とかく、自己感情を優先すれば、相手に余計なストレスを与え、結果、より大きなストレスが我が身に返ってきてしまう。つまり、私たちは自己感情を抑え、相手感情を優先するという持つべきストレスがあるのです。
先日も、某大臣の感情的な発言が報道されたが、その場、その場で相手感情を優先することは難しい。どうしても自分の感情が優先してしまう。だからこそ、日頃の訓練により、どういう状況であっても動じない自分を鍛えていく。ある意味、セルフコントロールする。自己感情で失敗した苦い経験を、積み重ねながら、自分自身を創り上げていきたい。

繰り返しになりますが、現実のストレスはなくならない。あらためて、聞くことを基としてまいりたい。ストレスを乗り越えたぶんだけ、後になってその苦しみの意味が分かる。そして、感謝ができるのです。こうした実践の努力が原因となり、結果として、心から相談できる人と出会えるのではないでしょうか。

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2017-04-28|

人間力を育む

無限提言132回 4月号

支えとなる

温かな春の日差しとともに、真新しいリクルートスーツに身を包んだ姿が眩しく感じる。懸命に就職活動をし、いくつもの面接を受け、内定を勝ち取り、晴れて入社となる。そして、身内は「よかったね」と安堵し、喜びを得る。しかし、中小企業における新卒者の入社後3年間の離職率は、約半数の割合にもなるとしたデータが現実にある。
夢と希望を持って入社する。しかし、そこに待ち受けている現実は、あまりにも厳しい。社会や組織の矛盾、そして人間関係の難しさに悩み苦しむ。それは、いつの時代においても、誰の場合でも同じかもしれない。しかし、そうした経験を乗り越えることは、自らを鍛え、人間としての力、いわば最も大切な“人間力”を育む人生道場ではなかろうかと。
どんなに、素晴らしい才能や能力、個性や性格も、人間的な弱さからそれが発揮されないことがある。また、未熟な面が多くとも、人間的な強さによって磨かれていくこともあります。強い弱いというのは一面的な表現かもしれませんが、人間力を育むことが大切だと思うのです。

先日も合同カウンセリングにて“人材育成”がテーマとなり、各クライアントオーナーと懇談しました。そこで、若手スタッフの一つの傾向として、欲のなさというか、精神的な脆さを憂うるとともに、彼らとの関わり方も難しいと。そして、彼らが育ってきた環境はどうすることも出来ない。どうしたものかと。
そこで、実は環境が人間をつくり、人間が環境をつくるという捉え方がとても大切で、人を育成する環境とはどういうことなのかを確認し合いました。

人間の成長にとって大切な環境とは何か。それは“支え”だと思うのです。
“支え”を例えれば、植樹の時に用いる“添え木”です。“添え木”があれば、少々根が弱くても、風が吹いても苗木は倒れません。つまり、支えがあることで、人は倒れない。たとえ強い人であっても、支えがなければ、思わぬ事で、つまずき倒れてしまうこともあります。だからこそ決して、自分一人になってはいけないし、また、一人にさせてもいけません。

ヒューマニズムが土壌

私は思うのです。そもそも“最近の子”が弱いのではなく、“支えとなる存在”が弱いのではないかと。会社組織においても、家庭環境にしても、“支えとなる存在”つまり我々自身の意識が、希薄になってはいないだろうかと。
“支えとなる存在”のあるべき論ではなく、あらためて、望ましい環境を追求したいのです。例えば、どんなに良い苗木でも、環境が悪ければ、育たない。環境とは、土壌や水、光でしょうか。土壌に問題があれば、いくら日当たりが良く、水や肥料をあげても、枯れてしまいます。苗木に問題がある場合もあるでしょう。しかし、土壌が変われば、育つこともあると思うのです。
また、優しさだけでもひ弱になるし、厳しさだけでは折れてしまう。殊に人間は複雑で、難しいことは痛感しています。だからこそ、なにがあっても皆で支えていくヒューマニズムこそが、目指す土壌ではないでしょうか。

庭師を経験した方に話を伺ったことがあります。庭全体のバランスが大事だと。他の土壌から植え替えたことで育つ場合もあれば、枯れることもある。それぞれの草木の特徴によって場所を変えてみたり、時にはストレスを与えたほうがしっかりと根を生やすこともあると。人間組織における環境を思う時に、実に示唆に富んだ内容でした。
ヒューマニズムが土壌であるからこそ、庭にあるそれぞれの木を活かすことができる。また、様々な種類の木であっても共に成長し、色彩豊かな庭にできるのです。

最後に、支えというのは、支えて支えられてもいます。誰かを支えるということは、実は自分が支えられていることなのです。これが本質だと思えてなりません。
何があろうとも、一人ひとりを信じ、心からのエールを送り続けてまいりたい。その支えが、新しい人材の力を生み、やがて新しい勝利を開くことでしょう。

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2017-03-31|

時代を感じる

無限提言131回 3月

確かなもの

「何が起こるか分からない」と多くの人が感じた米大統領選挙。一国のトップリーダーによる行動・発言に、世界の耳目(じもく)が集まっている。個性溢れるキャラクターも手伝い、新たな方針を発表するたびに、多くのマスメディアが一斉報道し、世間は不安にかられる。
こうした事象・現象を通して、本質は何かと見つめたときに思うのです。それは、常に“全てが変わりつづける”ということ。しかも、人は、既存のものや築いてきた関係性が変わる時、また意図に反することが起こった時に、どうしても心が動揺してしまうものです。

カウンセリングにおける現実的な声として、このようなことがありました。「古くから付き合いがある大口取引先の営業担当者。その信頼している彼が、急遽異動になった。すると早速、新任の担当者から契約条件の見直しを迫られてしまいました」と。また、「噂には聞いていたが、同一商圏内に大手の競合店がオープンすることになりました。これからの対応策を考えると、悩んでしまいます」と。
思いもよらない出来事に遭遇するときに、心が揺らいでしまう。そして、目の前の現実に対し、焦りと不安に苛まれます。理不尽と思える変化や流れは止めることも、拒否することもできません。
ここで確認したいのは『時代・現実は、何が起こるか分からない。その未来に「確かなもの」などない。唯一「確かなもの」は、自己自身であり、普遍の哲学以外にはない』そして『微動だにしない「KAKUSIN」を得ることこそが、今後ますます問われる時代環境になる』として“新発式”で申し上げました。
つまり、時代がどのように変わろうとも、唯一「確かなもの」は、自己自身です。ゆえに、微動だにしない「KAKUSIN」を得ることこそが、ますます問われる時代かと。そして、何が起こっても、今できることに精一杯挑んでいくことではないでしょうか。今期テーマの「KAKUSIN」は、今、正に追求すべきテーマであると、改めて実感するのです。

時代感覚を磨く

あるクライアントオーナーと懇談の折に、昨今の予想もつかない世界情勢などの話題となり、こんな問いかけがありました。「どのような時代観をもって捉えていますか」と。そこで、私は「時代観よりも、むしろ時代感覚を磨こうと思っています」と。時代観をあえて言えば“変化止まざるもの”と認識しております。しかし、それは観念的なもので、実践的には“時代感覚”を磨くことが大事だと痛感しております。
つまり、時代感覚とは、今の時代は・・・と漠然と捉えることではなく、時代は常に変わりつづけているという認識のうえで、より具体的に、今、何が求められ、何を欲しているのかという“感覚”です。そうした“感覚”を磨き養っていることで、あれを変えよう、これも変えてみようと、身近なところから自ずと、はじまると思うのです。

消費者の要望や期待に応えたモノやカタチが、時代を創り出しているという素朴な事実があると思います。だからこそ、より積極的に問題意識をもって、今の人たちの日常にある生活感覚を観察する必要があるのではないでしょうか。
身近なところの観察として、個人的に参考にしているものが“新聞の折り込み広告”であります。そこには、地域に根差した身近な情報があり、現在の生活実感が凝縮されている。そして、今のトレンドや人気商品、値頃感の動向、時季に適う商品群が様々打ち出されております。それを取捨選択し、より必要なものをタイムリーに購入されているわけです。もちろんネット購入の需要が急速に高まっていることも含め、その底流の生活感を読み取ることができます。そうして時代感覚を磨くことで、自社の商品、サービス、システムを省みた時に、「このままではいけないな」と確かな気づきが得られるのです。

単に流行を追い求めるだけではなく、身近な日常生活を意識し、時代感覚を養うことが、自分自身を耕すことになる。そうして自らを耕すことで、いざという時にアイデアのヒントとしての“芽”が出ると思うのです。そうした努力が、何があっても動じない自分自身を築くことになるのではないでしょうか。

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2017-03-02|

KAKUSIN ~確信・核心・革新~

無限提言130回 2月号

2017年 全国クライアント新発式 スピーチより

新発式では、過去一貫して「哲学実践のキーワード」ともなる「年間テーマ」を、皆様と共有致してまいりました。本年も、すでにご承知のように、そのテーマをKAKUSINと設定いたしました。このアルファベットのKAKUSINには、3つの意味合いが含まれております。それは、

  1. 信じて疑わない「確信」
  2. 物事の中心となる「核心」
  3. 新たに革める「革新」です。

さらに、付言するならば、そこに秘めたサブテーマは「スピード」であります。実に、私達は予(かね)てより「speed is power」と申し上げ続けてもおります。

さて、3つのKAKUSINでありますが、
第一に『確信』がない(弱い)から迷い、打つ手が遅くれる。何より迷いは停滞を生む。
第二に『核心』がないから臆病になる。また、臆病者は何もできない、何もしない。
第三に『革新』がないから前進もない。また、前進しないということ自体、それは既に後退である、と考えております。

では、なぜ今「KAKUSIN」なのか?
結論を先に申し上げさせていただくならば、『時代・現実、その未来に「確かなもの」などない。唯一「確かなもの」は、自己自身であり、普遍の哲学以外にはない』ということであります。
昨今の世界経済の停滞、またはグローバル社会の混迷は、果たして「確かなもの」だったのでしょうか? はたまた、国内状勢に於いても、国内経済を揺り動かした、あの東日本大震災、または、九州地方の度重なる災害は「確実」なものとして認識できていたでしょうか? そして、それぞれの業界の今現在を、過去に於いて確かな事として認識できていたでしょうか?
つまり「現実・未来は、何が起こるかわからないと実感をもって思うのです。
実際、想像以上の出来事に遭遇し「想定外」と連呼された、あの大津波の脅威も、実は、想定外なのではなく、未来は誰にも想定できないものだったのではないでしょうか?
そのような「不確かな現実と未来」を生き抜いていかなければならないとしたならば、どのような不測の事態に対しても、一切動じない、あるいは微動だにしない「KAKUSIN」を得ることこそが、今後ますます問われる時代環境になるであろうと考えます。

改めて
『確信』は実践のスピードをアップさせます。
『核心』は実践に勇気を与えてくれます。
『革新』は実践の確かな一歩となります。
この事を、まず以て申し上げさせていただきながら、さらに、カウンセリングにおける現実的な姿を借りて続けさせていただきたいと思います。

先ず、カウンセリングでは、こんな声を耳にいたします。
「カウンセリングを受け自己変革に取り組み、確かに会社の雰囲気は良くなったけれども、それが売上や利益と云った業績に連動しない
または「カウンセリングを通じて様々な気付きがあり、現場を変えようと色々やっても、数字という結果は変わらないなどと・・・。まさに「KAKUSIN」が問われている現状であると考えます。

確かに、自己変革に取り組んでいることは認めますし、様々な実践の努力も認めます。ただ「自分が変われば結果は変わる」「必ず変わる」という「確信」が弱いのです。「結果を変えるための哲学ではなく、自己変革の哲学なのだ」という事の本質に対する「核心」が不十分なのです。そして、結果が出ないと躊躇(ためら)うのではなく、絶え間ない「革新」の連続が問われ続けているのだという認識が欠けているのではないでしょうか?

まして、「自分は変わっているのに結果は変わらない」という認識は、これ「慢心」です。
この「錯覚」は、自分自身を見失う元凶ともなります。

重ねて申し添えるならば、雰囲気が良くなったのは確かですが、それは仮に「マイナス10」が「マイナス5」に改善されたに過ぎないと考えられます。つまり、未だマイナスの状態が続いているが故に、結果に連動していないのです。
「自己変革」及び「実践の努力」によって、社内の雰囲気や業務改善がなされたことと「マイナスがプラス」に転じることとは、決してイコールではないことを理解する必要があります。
譬(たと)えるならば、今ではあまり目にしない「手押し井戸」。
ご存じのように「井戸水」を汲み上げるには「呼び水」が必要です。それは「呼び水」によって隙間を埋めて配管内の気密性を高めるために行います。これによって配管内部から空気を抜き取り、必要な真空状態をつくりだします。まさに「水が水を呼ぶ」のです。

つまり、自己変革と云う呼び水によって、組織内の人間関係という隙間を埋め団結と云う気密性を高める、そして組織内部から不平や不満といった空気を取り除き、結果の変革に必要な真空状態、いわゆる意思統一された組織をつくりだす。まさに「自己変革が、結果の変革を呼ぶ」となるのではないでしょうか。
それでも結果が出ない現実は・・・。
手押し井戸の場合、その深さは概ね7・8メートルと言われています。場所によって違いもありますが、何より手押しです。一度や二度では汲み上がりません。結構な労力が必要です。それを出ない!出ない!といって、その押すのを止めてしまえば、また戻ってしまいます。まして諦めてしまえば、それまでです。すぐそこまで水が上がってきているかも知れません。しかし、まだ結果が見えていない。
だからこそ「KAKUSIN」なのだと考えます。

さらにはこんな声も・・・。
「哲学だけでは結果は出ないのではないか?思うに、能力と方法が哲学と相まって結果は出るのではないか?」と。
仮に、能力がなく打つべき手段も方法も全く行っていないという前提であれば、確かにそうとも言えますが、果たして、現実的にそうでしょうか?
私達は、その前提に於いて、一人ひとり違う「個性と能力」を持っていると考えています。「個性を引き出し」「能力を最大限に発揮する」ための「アンリミ哲学」であると固く信じております。
『能力がないのではなく、発揮できていない』
『方法が悪いのではなく、活かされていない』
私達は、それこそが真実であろうと考えています!
つまり、私たちが目指すところの「哲学の体得」という現象は、今現在有している「能力と方法」が活かされているかどうかに現れるのです。結果が出ないことで「能力と方法」を疑うのではなく、自己自身とスタッフ一人ひとりの可能性を信じて疑わない。まさに「確信」です。

ここに重ね重ね申し上げます。
『確信』はあらゆる事態(クレーム)への対応スピードをアップさせます。
『核心』はあらゆる事態(事件・事故)に対し迷わず勇気ある行動を生みます。
『革新』はあらゆる事態(変化)への確かな布石となります。

と申し上げ、新年のメッセージといたします。

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2017-01-25|

一人ひとり違う人間を知る

無限提言129 回 1月号

相手の全てを認める

「正月には、お雑煮が欠かせない」というご家庭は多いかと思います。私が社会人一年目に、先輩宅でご馳走になったお雑煮を今でも忘れられません。なぜなら、見た目も味も私が知っている“お雑煮”ではなかったのです。後日、そのことを同僚に話すと、味付けや具材、出汁などは地域によって様々であることを知り驚きました。一口に“お雑煮”と言ってもこんなに違いがあるのかと。 この時の印象を折々に思い出すのも、“一人ひとり違う”人間を知ることの難しさを、年年歳歳感じているからかもしれません。現場の諸問題は様々ですが、やはり人間関係の悩みはつきません。まして、私たちは、相手の立場に立ち、相手を理解しようと努めるがゆえに、むしろ悩まされることもあると思います。

先日も合同カウンセリングの場面でこんな質問がありました。「部下との関係で行き詰っています。自分から近づき会話も重ねてきましたが、どうしても彼を理解できず、業務にも支障がでてきました」と。また、「自分より20歳も年上で、業界ではベテランの方が入社してきたのですが、どうしてもチームの中から浮いてしまい、終には、他のスタッフから『何とかしてもらえませんか』と訴えられ、そのベテランスタッフと話し合いました。しかし、あまりにも認識が違い困惑しています。どうしたらよいのでしょうか」というものでした。 彼は、さらに質問してきました。「アンリミ書籍『創立者 鈴木昭二』に、『相手と同じ親を親として生まれ、相手と同じ時に同じ経験をしてきたならば、きっと相手と同じ発想をし、同じ行動をするだろう』との捉え方がベースにないと、相手を理解することはできないとありますが、とても自分には難しくて、できそうもありません。皆さんはいかがですか」と。一同考えさせられました。私も、このメッセージと向き合い、大事に思うことは、まず、「相手の全てを認める」ということです。そのことが相手を理解する、相手を知ることへのスタートラインとなり、相手を尊重する根本のスタンスではなかろうかと思うのです。

分かってくれる人を求めている

「相手の全てを認める」というと、それは、相手のマイナス面や時に過ちさえも全て肯定するということでしょうかと、聞かれることがよくあります。微妙なところですが、相手の非や誤りを肯定するということではなく、まず、相手の全てを受け止めようというこちらの内面が、大事だと思うのです。   誰の場合でも、素朴な感情として自分の過ちを指摘され、正されることよりも、自分のことを本当にわかってくれる人を求めているのではないでしょうか。「やっと自分のことを分かってくれる人に出会えたことで救われました。それが転機となりました」という体験談などは、貴重な真実の一側面を表しているように思います。 とかく、陥りがちなことは、何とか相手に気づいてほしい、良くなってほしいという、こちらの感情が優先してしまい、言ったことが逆に相手のマイナス感情を引きだしたり、しこりを残したりします。そのような、後になって後悔するという経験は、誰しもおありかと思います。しかし、そうとは分かっていながらも自己感情に負けてしまうのも生身の人間です。 だからこそ、そこで「ちょっと待てよ」と、意識的に何度も何度も繰り返し自分に問いかけるのです。「ちょっと待てよ」と切り替えられるような自分に挑み、身に刻んでいくのです。積み重ねのなかで、五回に一回、三回に一回と失敗が減っていくのです。 そう簡単に身に付くものではないと実感しています。分かったからできるというものでもありません。学び続ける、実践し続けることです。

『心情を察する』とよく言いますが、“情”の字は“心”に“青”と書きます。私たち人間の“心”のなかには、語るに語れない苦しみや悩みというような“ブルー”の部分があると思うのです。 そして、思うようにならない現実を前に、自分でも悪いと思いながらもどうしようもない感情に苦しむことがあり、また、情熱の炎が弱々しく消えかけることもあります。 そんな時に、自分の全てを受け止めてくれ、認めてくれ、分かってくれる一人の存在がどれほど大切なことか。ともあれ、「よし頑張ろう」と、心の種火に情熱の息吹をおくることのできるリーダーを目指したいものです。  変化して止まない人間を知ることが、いかに大事なことか。どこまでも人間尊重のアンリミ哲学を本年も共々に励まし合いながら研鑚してまいりたい。

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2016-12-30|

なぜ、何のため

無限提言128 回 12 月号

目的の存在

2016年も残すところあと1ヶ月、師走である。何かと気忙しい年の瀬を迎えますが、新年に向かい、来年はこれに挑戦しよう! あれもはじめてみよう! と思いを巡らせている時期ではないでしょうか。そして、クライアントオーナーにおいては、来年こそは是が非でもこの難局を乗り越えたい、新たな展開で流れを起こしたいと新年に向けて強い決意を胸中に抱かれていることと思います。

今年度の弊社のテーマを“KAKUSIN”と定めたことは前号で紹介いたしました。そこで、あるクライアントオーナーが「私達も“KAKUSIN”をテーマにし、さっそく“百作戦”を実践しています」とのことでした。オーナー曰く「百個を箇条書きにして、一つひとつ実行して消していくのは結構大変ですよね」と。そんな懇談の中で、私は敢えて確認させて頂きました。「百作戦の目的は? 何の為でしょうか? 100項目を0にすることではありませんよね」と。それは言葉じりをつかまえた理屈ではなく、むしろ共に目指すテーマを実現していきたいとの思いからです。私たちは、往々にして手段と目的を誤ってしまうものです。真剣に取り組むがゆえに“やらなくてはいけない”という思いが先になってしまい、いつのまにか“やること”がすべてになる。そうなると、疲れるし、充実感も得られません。やっていることが無意味ということではありません。それは、試行錯誤の連続です。だからこそ、常に一つひとつの事に臨むにあたり、なぜ? 何のため? という目的の存在を意識し、常に確認することが大事になるのです。目的が明確になると、同時にテーマや課題、また、「いつまでに」「どのように」というような具体的目標も方法もはっきりしてきます。

あるビジネスホテルの改装の相談に同席する機会がありました。オーナーは、「改装の目的は、お客様に満足とスタッフの働きやすさを現実化したい」と。そこで私は“和”というテーマで目的を追求することを提案しました。すると、「玄関から靴を脱いでいただこう」、「ゆっくりくつろげるように部屋は畳敷きに」、「大きいお風呂とサウナが喜ばれる」等の意見が改装に関わるメンバーから飛び交い、改装の姿、カタチができあがってきました。「綺麗にしたい、売上を上げたい」とした漠然とした目的だけではなく、目的の存在と明確なテーマがあるからこそ、はっきりとしたカタチを創っていけるのではないでしょうか。

 

目的の自覚

どんな些細なことでも目的の確認、もしくは自覚することが大切であると皆様も理解し、認識もしておられることでしょう。しかし、本当に大事にしているかと言えば難しいものです。
経営現場においては、現実を変えようと必死に、真剣に努力をされている。しかし、思うような手応えが感じられない。空回りしていることに焦り、苛立ち、そして迷う。こうした内面世界は、原点または目的を見失ったときに陥る“行き詰まり”ではないでしょうか。まさに車でいえば、ギアを入れずにアクセルを懸命に踏んでいるようです。

このような時にこそ素朴に、純粋に「なぜ? 何のため?」との目的の再確認をすることです。そして、心掛けることは、分からないことを聞くだけではなく、分かっている、これと決めていることでも、きちんと言ってくれる方に確認する。つまり、確認という聞き方もあるのです。

ゴルフをやられている方は皆様経験があるかと思いますが、自分では、まっすぐに打っているつもりでも、どうしても右の方向に飛んでしまう。そこで、あれやこれやと修正するもののますます分からなくなる。そんな時に、仲間に聞いてみると、そもそもスタンスが右を向いているよと、あっさり言われて気がつくのです。あまりにも卑近な例ですが、そういうことだと思うのです。本当に怖いのは、精一杯の努力をしながら、自分を見失ってしまうことです。

行き詰まったら原点に戻る!あるいは原点に帰ることが、前進の力となり、踏ん張れるエネルギーともなるのです。目標のための目標にはしてはいけない。小さなことから、身近なところ一つひとつ、「目的は?」「これは何のためだった?」と自問するところから挑戦していきたい。

自分に立てた決意を無駄にしない一年にするためにも。何より人生や仕事に対して真正面から向き合うためにも。あらためて、目的の自覚がいかに大切で重要か。しかもその確認は極めてシンプルだと思うのです。

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2016-12-01|

KAKUSIN ~革新・核心・確信~

無限提言127 回 11 月号

年間テーマ

 私たちアンリミテッドは、2016 年10 月から第33 期をスタートしております。あ らゆる企業が、厳しい現実をいかに乗り越えるかと必死です。「何を、どのようにした ら、突破口が開けるのか」と。そこで、私たちは、今期に臨むにあたり年間テーマを、 『KAKUSIN ~革新・核心・確信~』と掲げました。経営現場は常に迷いと不安に苛ま れます。だからこそ、そうした内面環境を打ち破り、果敢に挑みきって行こうという私た ちの強い意志が必要です。すなわち、この年間テーマです。
先日も、何人かのクライアントオーナーから今期のアンリミのテーマは決まりましたか と確認がありました。「数字や売上目標も大事だけれども、戦いには意思統一の柱とな るテーマが必要ですから」と。そのようなクライアントが少なからずいらっしゃることを 思い、弊社の年間テーマではありますが確認したいと思います。

 ひとつめの『革新』とは、全てを新しく改めること。多少の変化では、調整や修正の域 を超えません。次の『核心』とは、ものごとの中心となる最も大切なもの。つまり、理 念や目的であり、不変の哲学です。そして『確信』は、その哲学を固く信じて疑わないこと。 また、固い信念です。一つではなく、これら三つの思いを『KAKUSIN』に込めることで、 今という時代が求めているテーマであると同時に、普遍のテーマともなり、急所がある と感じています。
このテーマを“ 車” に例えると、より分かり易いのでしょうか。『革新』 は(車体)。『核心』は(エンジン)。『確信』は(ガソリン)と。車体(革新)とエンジン(核 心)はガソリン(確信)がないと動かない。車体(革新)とガソリン(確信)があっても エンジン(核心)が壊れていたのであれば動かない。要するに、この三つは一体なのです。
革新にパワーと破壊力を与えるのが核心。そして前進を阻む障害や困難にも負けない エネルギーが、確信であり信念であり執念ではないでしょうか。
しかし、言葉の意味は理解したとしても、実際の現場において現実化することは実に 難しいことです。社歴が長ければ長いほど、積み上げてきた制度やシステム、複雑なし がらみもあります。また、習慣というものも実に恐ろしいものです。そして、ついに変え ざるを得ない現実の状況が迫っても、何ともできないで立ち止まってしまう。

勇気と決断

 そこで必要なことは、勇気と決断ではないでしょうか。積み上げてきたものから 降りる決断や、しがらみや習慣を破壊する勇気です。本来目指していた原点、そも そもの源まで遡れば、「もう一度そこに立ち返って、こうしてみよう!」と勇気が湧き ます。そして、“ 今までやっていなかったことをやる。” 実にシンプルなキーワード ですが、これは「調整」や「修正」の類ではなく、今までの当たり前を覆す「挑戦」 への決断となります。そこには当然リスク、メリット、デメリットがあるでしょう。そ れを承知し、覚悟したうえで「これをやろう!」というのが今期のテーマです。
私は思うのです。継続的に結果の変革を実現化するのは、決して簡単なことでは ありません。だからこそ、「決して、このテーマを画餅にしたくない」と。  挑戦への意欲や昂りも時間経過の中で、目の前の問題や、迫りくる現実に追われ、 いつのまにか希薄になりがちです。故に、二つのことを常に大事にしていきたい。
一つめは、“ 善友” です。同じ志を持った良き仲間です。この人間空間に触れ、 共に語り合うことで、自分自身を見つめ直せる。一人になってはいけない。共に励 まし合うことで、新たな決意ができます。自己変革の軌道もここにあります。
そして、 二つめは“ 自己研鑽” です。『核心』ともなる成功哲学を学び続ける。より確かに、 より深く、より強く。それは同時に、テーマの現実化を妨げる障壁や問題に紛動さ れない自分自身へと磨き上げることになります。
いざ、『KAKUSIN』に挑戦してまいりましょう。挑むがゆえに、現実の厳しさに、 思い悩み、立ち止まり、行き詰まることもあるかもしれません。だからこそ、善友 と共に励まし合い、共に核心を磨きながら、結果の変革への直道を確信と信念をもっ て歩み続けてまいります。

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2016-11-01|

決定するプロセス

無限提言126 回 10 月号

信頼される一人の存在

先のオリンピックにおける各国選手団のユニフォームや、大会エンブレムは強いこだ わりやオリジナリティを感じるものでした。その決定までの過程には、多くの時間と人 の力が結集されていることでしょう。迷ったり、悩んだり、様々な意見を聞いたりと紆 余曲折しながらも一つのかたちに決定する。そこには大変なエネルギーが費やされてい ることを感じます。企業においても名刺やパンフレット、そして、シンボルマークやコー ポレートロゴには会社の強い想い、主義主張がつまっていることと思います。こうした デザインに限らず何かを決定していく、物事を決定するプロセスは実に難儀なことと思 います。私は、一つの物事をつきつめて、決定していくそのプロセスそのものに価値を 感じるのです。そこで私たちは、物事を決定する過程において「衆議を経る」ことが大 切であると、メッセージしております。それは「1.問題提起(打ち出し)をし、2.全 員で検討し、3.決定・結論、とのプロセスを経ることです」と。ところが、実際の現 場においては、この「衆議を経る」ことが難しいと言うことをよく耳にします。トップリー ダーがスタッフに問題提起をし、意見を求めても「特にありません。よく分かりません」 と、形だけの意見聴取になってしまいますと。または、スタッフ一人ひとりの異なる意見 を、なんとかひとつにまとめようとすると「いや、自分の意見は違います」と。結果的 にまとまらず、バラバラになってしまう。また、あるリーダーは、全員で検討する時間や 余裕などないと、次々と決定事項を一方的に伝える。すると、現場は不満で一杯になっ て混乱してしまいましたと。「衆議を経る」と聞けば、なるほどそうかとなるが、実際は「衆 議を経たら反対にまとまりません」となることが多いようです。そこで大事になるのは、 信頼される一人(トップリーダー)の存在です。要するに、トップリーダー自身に対する 常日頃からの信頼感や、スタッフの納得性が大切だと思うのです。その存在があるから こそ、様々に個性あるスタッフが賛成・反対と自分の意見を言ったうえでも、最終的には、 その信頼をベースに一つにまとまっていくのではないでしょうか。では、トップリーダー に対する信頼、もしくは納得性がなければ、「衆議を経る」ことはできないのでしょうか?

信頼の種

そもそも、トップリーダーの判断は現場スタッフとギャップがあるものです。それは、 責任感や経験値、また能力に違いがあるためです。そこで、トップが現場とのギャップ に対して向き合っていくことが、必要なのではないでしょうか?一方、現場スタッフは納 得が不十分だとしても、決定した通りに行動します。そして、トップリーダーもそれをフォ ローしていく。そうした繰り返しのなかで、少しずつプラスの結果が出てくる。その結果 に「なるほど、そうか」と実感を得て、はじめて納得が後からついてくるのです。トップ リーダーに対する尊敬心や信頼する心は、その納得性が積み重なり、築かれていくので はないでしょうか。  また、トップリーダーでも間違いはあります。望んだ結果ではなく、失敗してしまうこ ともあります。 そのような時は、現場からの納得性も得られず、信頼につながらないこともあるでしょう。 しかし、そこで大切なのは、トップリーダーの“ 潔さ” であり“ 謙虚な振る舞い” です。 「ごめん」と言える潔さ、「次はこうしよう」と改める謙虚さが信頼につながると思いま す。たとえマイナスの結果であっても、リーダーの振る舞いひとつ(種)で信頼につなが ることがあるのです。あらためて、信頼を勝ち得てから、「衆議を経る」ということでは ありません。信頼を勝ち得るためにも、みんなの意見を大事にしたいという思いで「衆 議を経る」ことに挑みましょう。なかなか意見が出なくとも、粘り強く聞いて、一人ひと りの意見を調整しながら一つひとつやっていく。そして、少しずつ信頼を得ながらスタッ フの意見を総合して、「みんなでがんばっていこう」という状態を作り上げていくのです。 そうするなかから、「自分たちの意見も反映されているな」という「信頼の種」が生まれ てくるのです。そして、その一つひとつの信頼の種は、スタッフ自身の意見や、より活発 な意見を生み、やがて組織を力強く推進していくエネルギーになると思うのです。

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2016-10-01|

不正事件に思う

無限提言124 回 8 月号

不正はどこからでてくるのか

大手自動車メーカーのデータ改ざん、首長の政治資金問題、東日本大震災後の原発 事故に伴う隠ぺい問題。これらは、まさに日本を代表する大企業や期待を寄せたリーダー に関する不祥事でした。こうした世間で話題となっている事件や出来事のニュースに接 する時、よそごとではなく、自身の身近にも起こりうる問題として捉え考えるという習慣 に何時の頃からかなっている。 そして、思うのです。組織であるならば、規模の大小によらず、不正を引き起こす危険 が潜んでいるのではないかと。また、不正はどうして起こるのか? また、なぜ起こるか?  こうした問題の本質は何なのか? と。  そもそも、一人ひとりの思いに、最初から悪意があったのでしょうか。察するに、し らずしらずのうちに見る方向を誤ってしまった結果のように思います。 頭ではスタッフや利用者のことを考えながらも、いつの間にか、会社の存続や業績に目 が行き、スタッフ一人ひとりにおいても、いざという時に、自身の立場や上司の顔色を伺 うようになった結果のように思います。 こうした狂いや誤りは、残念ながら、誰でも、何処でも、いつの時代でも変わらないこ とのように思います。それは、本能的にもっている自身を守る保身と利己、つまりは人 間のもつエゴイズムに行き着くように思われます。  そして、不正を助長する大きな要因に、「言えない」「言いづらい」という問題があります。 上司からの不正の指示に対して、「それは、おかしい」という思いを伝えられない。会 社のためにと現場がやっている不正に対して、「これは、だめだ」と指摘できない。あ るいは、社内の不正を知りながらも誰にも相談できない。 つまり、「情報の遮断」ということが、結果的には、会社を、上司を、自身を苦しませ、 悩ませることになるのです。 情報の共有がなされていないところに、まさに、組織の弊害が様々な形で現れるように 思えてなりません。 健全な組織とは、気付いた人間が不正を指摘し、不正でなくとも何か疑問があれば確 認をし、思うことがあれば相談できる組織なのではないでしょうか。

何をもって企業統治するのか

不正予防、顧客満足、社内のモラル向上、そうした観点から、近年、コンプライアンス(法 令順守)、コーポレートガバナンス(企業統治)というフレーズを耳にする機会が増えて きています。  当然の対策の帰結ともいえるでしょう。しかし、様々なルールやシステム 制度や規 制が重要なことは認めざるを得ないとしても、はたして、法や制度で人間を統治するこ とができるのでしょうか。また、規制やルールで統治しようとすれば、人間関係は希薄 になり、さらには、窮屈になりはしないでしょうか。改めて感じることは、人間愛、人 間尊重、相手中心といった、ヒューマニズムを根本とした哲学が企業統治のベースにな ければ、何をしたところで十分には機能しないということです。  逆に、企業統治のベースにヒューマニズムがあればこそ、事細かな制度や規制を潤滑 にさせ、仲間を仲間として率直に語り合い、マイナスの情報をも共有し、改めるべき方 向へと共に行動するのではないかと思うのです。つまり、ヒューマニズムの心をいかに 育んでいくかという視点を見逃してはならないと思うのです。是非とも、互いが互いを 助け合い、励まし合い、補い合う組織づくりを目指したいものです。  以前、創立者鈴木会長は、懇談のなかで「今の大企業は昔、下請けを泣かせるよう なこともしてきただろうし、規則に沿わないこともしてきたはずだ」と。 つまり、どんな大企業もはじめは零細企業で、なんとか会社を発展させよう、成長させ ようとするプロセスのなかには、今でいう『ブラック』と言われることがあったのかもし れないと。しかし、このままではいけないと気づき、自ら是正してきた結果として、社 会から信用される企業になったのではないでしょうか。  そこで大切なことは、図らずも社内の不正が発覚したならば、素直に非を認め、大胆、 かつ積極的にヒューマニズムを根幹とした組織に改めることです。そうした『潔さ』が 私たちに問われていることだと思います。

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2016-08-01|